ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第79号----

平成 15/04/02 (水) 5:50

深セン→北京→ラサ→成都→日本の旅

風邪をひいたのでこれはてっきり前回の広州で流行性の肺炎をもらって来たのかと思ったら、
そのまままたその流行の真っ只中である深センに行ってきた。
前回のお話(https://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html

その日はヒットチャートの授賞式。
北京から、香港から、台湾から大スター達が勢ぞろいし、
さすがにみんな防毒マスクのようなマスクをしていて、
そんな中でワシがゴホンとでもやったらもの凄い緊張感である。

北京人は、
狂牛病が流行った時にも
「あんなん今さら食べるのやめたってうつる時にはうつるがな」
とホルモンを平気で食っていた関西人とよく似ているのか、
何故か誰一人としてマスクをしてなかった。

今回は出演者に友人が多い。
お決まりのスター達はもちろんのこと、
中国ロックの創始者、崔健(ツイ・ジェン)も、
今年から始まったロック部門のプレゼンテーターとして参加していたし、
私によく仕事をくれる、元黒豹のルアン・シューも呼ばれて来ていた。

そうなると夜は誰と飲みに行くのか迷うのが常だが、今回は違う。
夜の帝王、ナイトクラブ・キング、ドラムも叩ける商売人と異名をとるZ氏が一緒なのだ。
関連ネタ(https://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html

今回はこの式典のオープニングを中国の有名ドラマー4人のセッションでと言うことで、
黒豹のドラマーZ氏を筆頭に、唐朝、輪廻(AGAIN)のドラマーとワシ、
何の因果かドラムリーダーまでやらされ、内容まで作らされている。

いやいや、ワシはいいのよ、そんな・・・そのお礼に深センまで来てナイトクラブなんて・・・
でも仕方ないですね、奢ってくれると言うならちょっとだけご一緒しましょう・・・

いやいや、ワシの選ぶ女の子は趣味が悪い?
今日は「俺が選んでやるから任せろ」?・・・
いやいや、そんな・・・

・・・ワシ・・・実はそんなモデルタイプの美人は緊張するからアカンのよね・・・
いやいや、そんな・・・またおっぱいに手をおかれても・・・

しゃーないから緊張のあまりがぶ飲みをして酔いつぶれてしまいました・・・

まあそんなこんなで本番です。
そんな風に前日まで遊んでるんだからドラマー4人のセッションがうまくいくわけありません!
特にZ氏は普段ドラムなんか叩いてないんですから・・・

と思ったらまあまあ何とかうまくいって、一息ついたところで陳琳の出番に呼ばれる。
「せっかく来てるんだからうちでも叩いてよ」
ってなもんである。
「あてぶり」であるが、まあ自分の叩いたドラムなんで何とかなる。

出演後にトイレで崔健(ツイ・ジェン)と一緒になった。
中国ロックの創始者と並んで小便をするのも何やら変な気分である。
「辛苦了!(シンクーラ:お疲れ様の意)」
と声をかけてくる。
「何の辛苦もおまへん!あてぶりなんやもん!」
と答えると、
「あてぶりが一番辛苦なのさ」

後にプレゼンテーターの一言の時に、生歌、生演奏推進運動の話をしていた彼だった。

さてやることもないので客席で賞の受賞を見ていたワシだが、
結果は非常に嬉しいものだった。

自分が叩いたドラムが10曲近くVTRで流されたり歌手が歌ったりしていたのもあるが、
その崔健(ツイ・ジェン)からロック部門の賞を手渡されたのが、
去年やった仕事の中で一番好きだった「許魏(シューウェイ)」だったことだ。
彼はベストロックシンガーとベストロックアルバム、
そしてベストロックシングルの他、合計5部門を受賞した。

快挙である。
ワシが彼と出合ったのは10年以上前、
ギターとテレコと酒しかない部屋で、出来たばかりのデモテープを聞かしてくれた。
そのデビューアルバムは当時中国では珍しいオルタナティブロックで、
ワシは日本で聞くより先にオルタナの洗礼を受けて、
それ以来どうもあのオルタナブームが好きではない。

まあ彼のその独創的なサウンドが非常に印象に残っており、
その後どうしたのか、売れなくて田舎に帰ったのかとか思ってたら、
実は密かにあのアルバムは非常に評価されていて、
あれから彼はプロデューサーとしていろんな歌手にヒット曲を提供しているらしい。

それでも自分のアルバムはと言えばそんなに世間を騒がしたわけでもないのだが、
どこに行っても誰に聞いても「許魏(シューウェイ)はいいよ・・・」と言われるので、
音楽界では相当評価が高いアーティストであることは間違いない。

その音楽性に今回のレコーディングでもろに接してしまったワシは、
彼の書く、ある意味退廃的な、大きな悲しみを背負ったメロディーにやみつきになった。
アルバムのとある曲などパソコンに入れて何百回も聞いたほどである。

実は前日、カラオケばっか行ってたわけではなく、
地元のライブハウスでセッションなんぞもしていたのだが、
その地元バンドが「許魏(シューウェイ)」の曲をカバーしてたりして非常に嬉しかった。
中国のロックは終わったと思ったが、
ポップスに形を変えて、
こうして昔の仲間が変わらず鳥肌が立つようなメッセージを歌っててくれることが嬉しい。
そして長く恵まれなかった彼がこうして正当に評価されたのが嬉しい。
そしてその評価の一部をドラマーとして手助け出来たのが嬉しい。

うん、ええドラム叩いとったよ、ワシ・・・
彼の魂がそうさせたのね・・・

ドラムはやっぱ歌心やねえ・・・

結局「許魏(シューウェイ)」が5部門受賞したのと、
陳琳をはじめとするS社長軍団も3部門受賞し、
元黒豹のルアンシューもベストプロデューサー賞を受賞し、
その仕事でご一緒させて頂いた韓紅(ハンホン)も2部門受賞した。

そして深センを後にしたワシは、その韓紅(ハンホン)御一行と共に
チベットはラサへと旅立つのである。

「今日は絶対によく寝て、酒も飲むな!明日は朝9時の飛行機でラサだからな!」
プロデューサーのルアンシューに強く言われる。

チベットはだいたいが富士山より標高が高かったり、
とにかく空気が薄いので、
数年前台湾の歌手がコンサートをやった時も、
ライブ中にドラムの音が聞こえなくなって来たなあと思ったら
ドラマーが酸欠でぶっ倒れてたと言う話がある。

深センから北京に戻って、そのまま半日でラサである。
通常なら言われた通りゆっくり寝たいのだが、
突然シャムシェイドのギタリストから電話があり、
何と北京に来ていると言うので飲みに行く。

ワシはアホである。
でもワシの街に来てくれて楽しんでもらわねばワシがすたる!
結局レコーディング終了まで待ち、4時ぐらいまでメシをご一緒した。

命いらんのか!・・・

ラサに着いてすぐ景色に感動し、
「ここは天国だ!」と感激した途端に高山病で倒れたり、
普段大酒のみなのに感激してひと口飲んだだけで倒れたりと言う逸話は多く、
「感動するな、興奮するな、病気は絶対治して行け、睡眠はたっぷり取れ」
とさんざん言われていながら二日酔いでラサ入りするのはワシぐらいであろう。
空港で「ちゃんと寝たか」と言われ、
ぱんぱんに腫れた顔に血走った目で酒臭い息を吐きながら「うん」と答えるワシである。

四川省の成都で飛行機を乗り換えて、
初めて訪れたラサの街はもうすでに中国ではなかった。
確かに北京語も通じるし、看板も中国語なのだが、
「これはやはり中国ではない、チベットだ」
と思った。

感激したらダメなのでぼーっとしてたら、
実は本当に酸欠でぼーっとしていた。

酸素が薄い!!!!

そのままブダラ宮に連れて行かれる。
「こんなものを人間が作ったのか!!!!」
ぼーっとした頭で夢ごこちにこの巨大な建造物を眺める。
天安門の数倍でかく、山のように高い。
万里の長城を見た時のインパクトに近い。

こんなところで8月にはライブをやるのか・・・

チベット族中国人歌手である韓紅(ハンホン)が、
歴史上初めてここで歌を歌うポップス歌手となるのである。

総予算600万元(約9千万円)。
機材は北京から飛行機をチャーターして空輸し、
メンバーは一週間前からラサに入り、
3日間身体を慣らして、3日間リハーサルをして1日だけの本番。
その後、山を降りて3日間ほど身体をならし、そのまま成都あたりでライブをやると言う。

ドラマーは3人用意し、それぞれチベットのパーカッション等を持ちまわりで叩く。
全ての曲をパーカッションアレンジにし、
ひとりが倒れても別のドラマーが代わって叩けるようにする。

ギターも3人用意し、誰が倒れてもライブは出来るようにすると共に、
ドラマーは全曲クリックを聞きながら演奏し、
ライブで誰が倒れても後で差し替えて、
この歴史的なコンサートをCD、DVDとして記録するのである。

ワシはそのチームリーダーをすると共に、
今回の視察で現地の民族楽器や民俗音楽に触れてアイデアを提供する役回りである。

それと共にワシが本当にここでドラムが叩けるのか、
中心人物に倒れられてはライブにならないのでわざわざご指名で連れて来られていたのだが、
予想に反してなのか予想通りなのか、着いてすぐにワシはぶっ倒れた。
空気が薄いのであくびばっかり出るなと思ってたら
そのままホテルでぶっ倒れて10時間以上寝てしまった。

無理したらあかん、無理したらあかん。
高山では無理したらそのまま頭痛になり、割れるような痛さのあまり山を降りることとなる。
無理するなと言うのがワシ・・・一番苦手なのよ・・・

翌日は少し楽になったが、ちょっと歩けばすぐ息が切れるし、
階段なんぞ1フロア上っただけでへたりこんでしまう。

そんな中で五体投地と言って
みんなブダラ宮を目指して地面に身体を投げ打って祈りながらここにやって来る。
最終目的のここに着いたら全財産を置いて、
そしてまた祈りながら帰って行くのである。

ワシよりももっと身体の弱いお年寄りが、
もう立って歩くことも出来ない有様で、それでもブダラ宮を目指している。

何がこの人たちをそうさせるの!!!!

見ればチベット族中国人である韓紅(ハンホン)もぶっ倒れていた。
彼女の場合は風邪もひいて熱もある。
ここで病気は本当に辛いらしい・・・

こんなとこでライブをやっても儲かるわけがない。
でも全ての財産を投げ打ってもここでライブをやるらしい。

ワシにご指名が来たんならワシも頑張りまっさ!

その翌日には何とか普通に動けるようになったが、
残念ながらワシは一足先に帰らねばならない。
チベットからその日のうちに日本に着く飛行機がないのである。
夕方発の飛行機で四川省の成都まで飛び、
次の朝いち便で日本に帰らねば4月3日の五星旗のライブに間に合わない。

朝はちょっと散歩をし、
ジョギングまでいかなくてもちょっと早足で歩いたりしてみる。
息は切れるがなんとかなりそうである。

「大丈夫だよ。何とかなる。今日ドラムを叩くとしてもきっと大丈夫だよ」
みんなにそう言うと非常に安心してもらえた。
昼間っからビールを飲んで見せる。
なーんだ・・・大丈夫じゃん!

考えてみればあの酸素の薄いライブハウスで、
XYZみたいな音楽を全力でやっているのだ。
通常のポップスの演奏ならまず大丈夫だろう。

飛行機に乗って成都まで降り立つ。
今度は過酸素でふらふらする・・・

やっかいじゃのう・・・

まあこれがワシの五体投地みたいなもんじゃ・・・

ファンキー末吉@成都のホテルにて


戻る