ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第90号----

2003/09/24 (水) 12:30

内モンゴルから結局飛行機に乗れず、
そのまま14時間のバスに乗り、朝5時に北京に着いて7時に家を出て日本に帰って、
BOWWOWとのイベントをやってそのまま北京に帰ったら、
そのまま陳琳のライブで石家庄に連れて行かれたワシ・・・

・・・もうバスはええんですけど・・・

またバスに揺られ、やっとのことで北京に帰ったら零点のメンバーが待ち構えている。
なにせ1ヵ月後に6万人の野外コンサートが控えているのである。
レコード会社の会議室でミーティング。
メンバーや社長やスタッフとの間で激論が交わされている。

・・・あのう・・・ワシのギャラは・・・

会議で決まったことが次から次へとワシに振られる。

「ライブレコーディングはアメリカのエンジニアに決定。
予算を出してスケジュールを押さえろ。
あ、それとこの前の中国サッカーリーグのテーマソング。
早くミックスダウンを仕上げろとアメリアのエンジニアに言え。
音が出来たらすぐ契約せねばならん」

あのう・・・そのアレンジ料もまだもらってないんですけど・・・

「じゃあ舞台監督との打ち合わせに、香港には社長とメンバーから誰が行く?
中国人はビザが間に合わない?じゃあバンドを代表してファンキーが行くか?
日本人ならノービザか?じゃあ明後日出発するから・・・」

あのう・・・また飛行機ですかぁ・・・

「ダメダメ、ファンキーはこっちでやることたくさんあるから社長ひとりで行って」

あのう・・・まだ何をたくさんやらされるのでしょう・・・

「月末には上海と杭州でライブがあるから、
お前ドラムセットとか必要な機材を全部すぐリストアップしろ」

初めて聞いたんですけど・・・

「あのう・・・それいつなの?・・・もしその日に俺が日本で仕事入ってたらどうすんの?」
恐る恐る聞くワシ・・・
「ダメダメ!仕事入れちゃあ!当分お前は俺達の仕事だけに集中しろ!」

あのう・・・だったらスケジュールを早く出して欲しいんですけど・・・

こちらではスタジアムコンサートが1ヶ月前に決まるなんてのもざらである。
チケットなんか何万枚が1週間前に売られるなんてのもざらである。
10月17日の6万人コンサートも先月にはまだ日にちも決まってなかった。
最初はXYZの札幌と同じ11日に決定と言うので、
「じゃあ俺はアレンジだけやって参加はしないから」
と言ってたらいつの間にやら17日になっている。
「11日じゃなかったの?」
と聞いたら
「その日はサッカーの試合が入ってたから17日になった」
とのこと。

・・・まず会場を押さえてから決定って言って欲しいんですけど・・・

ミーティングも終わり、メンバーはいそいそと会議室を後にする。
日本に、アメリカにメールを書いて残務を処理するワシ・・・
あるメンバーは今から投資家に会ってライブのための予算を確保すると言う。
「メンバー自身がそこまでやるの?」
中国では何から何まで自分でやる。
これだけ売れてても絶対スタッフ任せにはしない。

日本ではプロデューサーはレコード会社に雇われるが、
ここではメンバー自身に雇われる。
いや、レコード会社自体もメンバー自体に雇われていると言っても過言ではない。
契約が切れて、彼らの仕事に満足してなければメンバーは容赦なく移籍をする。
もちろん移籍料や契約金もメンバーが取る。
印税がないに等しいこの国ではそれがむしろ普通である。

仕切りはぐちゃぐちゃだが何故か曲順はもう決まっている。
香港の舞台監督に早めに提出して、
大道具やらいろいろ揃えねばならないからこれでもぎりぎりじゃろう。

・・・だったらワシに振る仕事も早めに言って欲しいんですけど・・・

「明日上海でライブだけどカラオケがない!
ファンキー、アメリカからカラオケは送ってきたか?」
あんたの家にアメリカから送ってきたハードディスクに全部入ってますがな。
「それじゃダメだ!ハードディスクでライブが出来るか!すぐにMDにしてくれ」
してくれって言われたってプロトゥールスのあるスタジオ押さえねばならんではないの・・・
「お前が押さえて今夜じゅうに全曲MDにしてくれ!明日の朝出発だから。ほな!」
いそいそと会議室を後にするメンバー・・・

あのう・・・上海でライブをやることはとっくに決まってたんでしょ・・・
・・・そいでそれはカラオケだって決まってたんでしょ・・・
そいで誰も前日までそのカラオケがどこにあるのか考えもしなかったの?・・・

中国では「結果よければ全てよし」である。
ただそのしわ寄せが誰かのところに来るだけである。

北京じゅうのスタジオに電話をして、
ワシが96年に出したソロアルバム「亜洲鼓魂」でモンゴル語で歌を歌ってくれた
「図図(トゥートゥー)」が最近スタジオを作ったと言うのでそこを押さえる。
作業自体は簡単なもんなので、ビールを買って来て、
彼の故郷でもある内モンゴルの話で飲みながらカラオケを完成させる。

作業も終わりぐらいになってくると、ベーシストのWがやって来た。
・・・おう!さすがメンバーのうちひとりぐらいは手伝いに来てくれたのね・・・
と思ったら彼らの曲のうち1曲をテレビサイズに編集して帰って行った。
メンバーそれぞれに役割があり、みんな他の役割にまで手が回らない。
なんとかワシひとりで出発に間に合わせてMDを渡す。

彼らが北京から離れればやっとワシも開放されると思ってたら電話が鳴る。
「あの曲のシンセストリングスの音があまりによくないから、
お前、自分でスタジオとエンジニア押さえて生のオーケストラで録音し直しといてくれ」

ひえぇ・・・

数年ぶりに弦の譜面を書く。
・・・ん?・・・スタジオとオーケストラを押さえて・・・その金は?・・・
スタジオの人に「直接メンバーにもらってね。俺・・・立て替える金ないよ・・・」と念を押す。
しかし計算してみると非常に安い!
日本だとひとり数万円のギャラと1日20万がとこのスタジオ代。
8,6,4,4,2の大編成の弦を入れて、7、80万円のギャラが吹っ飛ぶが、
こちらではひとり150元(約2000円)のギャラと1時間350元(約5000円)のスタジオ代。
10万円でお釣りが来る。

バンド使うより安いやないの!!!!

最近数多くの日本人が北京に弦を録りに来るが、
共産国のレベルの高い弦がこの値段だったらそりゃ交通費出しても来るわなあ・・・

次の日の彼らの帰京を待ってデータを渡す。
彼らはそのままリハーサルに行き、翌日の新曲発表ミニライブに挑む。
ワシは参加しないので昼から見に行こうと思ってたら
「ドラムをチューニングしてくれ」
と朝から叩き起こされる。

プロデューサーって何でもせなアカンのね・・・

仕事でもないのにPAの音チェックや、
同期モノのチェックや本番前に彼らのために走り回る。

ワシ・・・今日仕事で呼ばれてるんじゃないんですけど・・・

本番前はいろんな業界人がワシを訪ねて来るので、
パスを取ってあげたり、席を確保してあげたり大変である。

ワシのライブでもないのに・・・

そして本番は本番で子供の発表会の気持ちで落ち着かない。
「失敗したらどうしよう・・・ウケなかったらどうしよう・・・」
このアルバムが失敗したら全てプロデューサーのせい。
そして成功したら全部彼らの手柄。
プロデューサーとはそんな仕事である。

幸いミニライブは成功に終わり、
見に来た業界関係者はみんな資料と出来上がったばかりのサンプルCDを持って帰っている。
ワシ・・・まだもらってないのよ・・・LAのスタジオ以来まだ聞いてないのよ・・・

「すんません・・・サンプル下さい」

受付の姉ちゃんのおずおずとそう言うが、
「あんたどこの放送局の人?」とつっけんどん。
まるでタダで見に来た部外者である。

あのう・・・ワシ・・・これプロデュースした人間なんですけど・・・

中国で最大のロックバンドが、その将来と中国ロックの未来をかけて作ったそのアルバムのプロデューサー、
今だサンプルももらえず・・・
・・・そしてそのギャラは・・・

次回に続く・・・永遠に・・・

ファンキー末吉


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