ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第46号----

2001/08/14 17:40

北京レコーディング

1ヶ月以上に渡る日本でのレコーディングが終わり、
残すは五星旗のTDのために北京にやって来た。
別に日本でやってもいいのだが、
北京で友人がスタジオをOpenし、
エンジニアも、黒豹のエンジニアでもあり、
五星旗の1枚目もやってもらったKEIZOと言う日本人エンジニアがいるので、
まあ飛行機代を出したとしても安くあがるし、北京TDに踏み切った。

実の話、東京のこのスタジオはもう飽きた。
飽きたのは俺だけではなく、
スタジオの従業員が俺のことをもうとっくに飽きている。
朝出社したらいて、帰る時にはまだいるんだからしょうがない。
毎朝毎朝寝起きの末吉の顔を見せられるのもどうしたものか・・・
昼夜ないもんだから、別に昼飯からビールを飲み、
自分が仕事をしているのにスタジオのソファーで酔いつぶれている姿を
見せられる従業員の気持ちはどうしたものか・・・
最後にはスタジオのビールは底をつき、
「また仕入れなきゃなんないんですけど、銘柄は何がいいですか」
と俺に聞くのもどうしたものか・・・

まあ人間関係がこじれないうちに居を北京に移したと言うわけだ。
ところが東京にも別に居を構えているわけではないのだが、
北京でも実はそうである。

嫁は子供を両親に預けて、
「職探し」と言う名目で北京の従妹のところで毎日遊んでいる。
そこに泊まるわけにもいかないので、
今回は元ビクターのOさんが借りている北京の部屋に住まわせてもらうことにした。
日本にいながら北京に部屋を持っているなんて素敵じゃない?

着いていつものようにすぐJazz-ya北京に直行する。
「頼んでたお酒、買ってきてくれました?」
安田がそう言うが、
朝から朝まで毎日レコーディングしてていつ買いに行くヒマがあるものか・・・
「いいんですよ、また今度荷物がない時に持って来て下さい」
俺の今回の山ほどの荷物を見て安田が慰める。
データが読めなかった時のために山ほどのマルチテープと共に、
嫁から持って来いと言われている家財道具の一部。
引越しの時に嫁はドラム部屋に荷物を運び込み、
その段ボールに通し番号を付けて俺が北京に来る度に持って来させるのである。
「頼んでたアレ、買って来てくれた?」
嫁が開口一番にそう訊ねる。
出発直前に国際電話がかかって来て「タンポンを買って来い」と言うのである。
仕方がないので事務所の西部嬢に大量に買って来てもらったのだが、
どうも銘柄が違ってたらしくぷんぷん言う。
「俺に頼むな!」っつう話である。

嫁はブツを受け取ったらそうそうに遊びに出かける。
お気楽なもんである。
俺はそのスタジオのオーナー、沈とエンジニアのKEIZOと飲みに行く。
「Oさんの部屋ってどこ?」
「ああ、うちの家の向かいだから送って行きますよ」
KEIZOがそう言うので遠慮なく酔って大暴れさせて頂いた。
日本からYさん、インドネシアからIさん、ベトナムからKさん、
と偶然この日はアジア関係の業界人が北京に終結し、俺は悪酔いして酔いつぶれた。
後はKEIZOが面倒見てくれる。
末吉プロジェクトのミキサーはこんな面倒まで見なければならないので大変である。

さてOさんの家にやっと着いた俺はKEIZOが持つ合鍵で部屋に入ろうとしたら、
なんと長年留守にしているのでついに電気が止められている。
中国の場合は張り紙をした後、
それでも払わなければブレイカーごと取り外して行くから物凄い。
真っ暗な中、手探りでベッドらしきところにたどり着いてそのまま寝た。

朝になってあまりの暑さに目が覚めた。
「ここはどこ?私は誰?」
となるのが普通だが、
東京でのスタジオ終了時間が半端に早い時、
仕方がないのでドラム部屋に帰って仮眠をしている状況に酷似していて、
「あ、もう9時か・・・スタジオ行かなきゃ・・・ラジオ行かなきゃ・・・」
・・・と思わず飛び起きてしまう。
悲しい性である。

スタジオに向かい、機材をチェックする。
全てのデータが読み込めることを確認してから、
試しに1曲大音量で聞いてたら電話が鳴った。
スタジオのドアの外で電話してたら風でドアが閉まってしまった。
見るとオートロックである。
カギを開けた沈はもうすでに出かけてしまい、
むなしくドアの隙間からYangYangのボーカルが大音量で聞こえて来る。
「閉め出されたんですけど・・・」
沈に電話をしたら大笑いされ、
「もうすぐ誰かがそっちに行くから待っててよ」
と言われ、ドアの前で数時間ぼーっと待つ。

大体にして北京での仕事はそうである。
以前もMACを持ち込みでやって来たが、
初日に電源を入れたら壊れてしまい、
次の日は修理に持って行くので1日、
その次の日は取りに行くので1日、
そのまた次の日からやっと仕事が始まった。
北京の風に吹かれながらドアの前でぼーっとするなど
言わば「これぞ北京」の日常ではあるまいか・・・

夜にはJazz-yaに行って安田相手に楽しそうにそんな話をする。
「いやー、電気が止まっててねえ・・・」
安田にそう言ったら
「末吉さん頼みますからうち泊まって下さいよぉ。
ファンキー末吉が電気もないところに泊まってるなんて僕が恥ずかしいですよ。
頼みますからまたそんなことメルマガに書くのやめて下さいよ」

書くもんねぇ!

Jazz-yaに行ったら、食い詰めたバックパッカーが職探しに来ていた。
世界中を旅しているTAKUROと言う22歳の若者である。
「すまんが今は労働局がうるさくって、ビザのない人間に働かせるわけにはいかないのよ。
末吉さんが面倒見てくれるかも知れないから言ってみぃ」
かくして毎日腹が減るとTAKUROがスタジオにやって来る。
面白いのでメシ食わせてビール飲ませてほったらかしている。
無銭旅行の土産話のギャラがメシとビールと言うわけだ。

使えるお金はあと300元、ホテル代は25元なのであと10日余りが勝負である。
「25元のホテルっつうのは凄いよねえ。どんなとこなの?」
バックパッカーの溜まり場であるが、
35元出せばクーラーがあるらしいが、25元はクーラーなし。
それでも俺の住んでいるOさんの家よりはマシかも知れない。

TAKUROはホテルまで2時間歩いて帰ったが、
俺はさすがにタクシーで帰宅する。
もちろん今夜は蝋燭を準備して帰った。
キャンプ生活のようでなかなか楽しい。
ガスが出ないので水シャワーを浴びてみる。
考えて見ればこれって俺の日本での生活とあんまし変わらん・・・

「末吉さんて人生がバックパッカーみたいなもんですからねえ・・・」

買い物をしようと外に出て、安田のこんな言葉を思い出してニヤニヤしながらドアを閉めたら、
ここもオートロックであることに気が付いた。

ひえーっ・・・

「うちのホテルも遊びに来て下さいよ。バックパッカーばっかで楽しいですよ」
TAKUROの言葉を思い出す。
うちの上の子供は天津の友人宅に遊びに行ってると言うので、
レコーディング終了したらTAKUROと一緒に天津にでも行ってみるか・・・

ファンキー末吉


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