ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第105号----

2004/11/30 (火) 7:33

成田の風呂にて・・・

そうそう、あまり知られてないが、成田空港には風呂があるのじゃよ。
チェックインしてイミグレーションも通ったその向こうだから知っている人は少ないが、
リラクゼイションルームたら何たら書いてあって、シャワールームから仮眠室まである。

一度、日本から北京に向かう時、身体が臭くてどうしようもないので(毎度のことじゃが)、
時間ぎりぎりではあるがここでシャワーを浴びてから飛行機に乗ったことがある。
30分500円で、まあいわゆる往年のコインシャワーみたいなもんじゃが、
ここで仮眠室を取って仮眠したり、そんなぁワシら2時間前しかチェックイン出来ないのに
どこの誰がそんなもん使うんかと思ってたら、
よく考えたらトランジットで時間が余った人が使うのね・・・

そうなのじゃ、ワシは今回は帰国のためでもなく、出国のためでもなく、
北京からアメリカへのトランジットのために成田にいる。
だから今回はこのシャワールームのバスタブにお湯を入れ、
こうしてゆっくり漬かりながら考え事をしていると言うわけだ。

ここ数ヶ月はほんま寝るヒマもないほど忙しかったが、
それも本当は昨日で全部終わるはずだった。

日本から米倉利紀と言う歌手が北京に来て、陳琳と一緒にライブをやると言うので、
ワシはそのバックバンドのリーダーとして、ライブアレンジをして全ての譜面を起こし、
メンバーを集め、リハを数日やって歌手が来るまで万全の体制で待ち、
歌手よりも早く現場に入り、歌手よりも遅く現場を後にする。
これ、ミュージシャンの生きる様である。

大変だった零点(ゼロポイント)のレコーディングはワシの担当部分は全て終わり、
予算削減のためなのか何なのか、キーボードの部分は例の新しいシステム
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html
を使ってワシ自身で全部作ることになってまた数日徹夜した。
何せ何万色も音色があるのである。1音色選ぶだけで半日かかってしまうのである・・・

その後は米倉利紀の譜面を書く。
陳琳とのクリスマスソングのデュエットもあるのでそのアレンジもする。
リハが始まるまでには終わらせねばならないので、
言うならばリハが始まりさえすれば後はドラムを叩くだけ、
つまりワシの仕事はほとんど終わったも同然である。
ええ生活じゃ。スティック持ってリハ会場に行き、ドラムだけ叩いて帰って来る・・・

昼間リハをやりつつ、
ちと心配なので帰りには零点(ゼロポイント)の歌入れにも顔を出す。
でもまあワシに何が出来るわけでもないから遊んでるだけじゃが・・・

「ファンキー・・・TDどうしようなあ・・・」
相談を受けるが、まあ今回は予算もないと言うし、
国内のエンジニアを数人使ってやると言うことになっているのでそれも「お任せ」である。
バブルの真っ只中の中国、
最近は台湾からも著名なミュージシャンやエンジニアが移住して来ているので
人材には困らないはずである。
「優秀なエンジニアはいることはいるが、
やっぱ前回のウェイン・デイヴィスにはかなわんのう・・・」
メンバーも懐かしそうに言う・・・
「でも今回は予算もないしのう・・・」

「ヒマやったらまけてくれるかも知れんし、聞いてみよか?」
口が滑ってそう言ったがためにこうなってしまった。
1曲だけ頼もうか、いや、そしたら他の曲とのサウンドの差がつきすぎる。
やるんなら全曲。やらんのなら1曲もやらん!
歌のMixのディレクションはどうする?
会社は移籍したばっかりやから絶対自分たちでやりたがるぞ。
予算はどうする。ディスカウントしてくれたと言うても国内の倍はかかるぞ・・・

それから数日、彼らと会社との間ですったもんだもめることとなるが、
メンバーもこれ以上予算を使いたくないと言う雰囲気、
まあ国内でやろうじゃないのと決まりかけていたその中、
とあるメンバーが突然机を叩いて立ち上がった。

「うだうだ言うな!ほな金は全部俺が個人で出す!そしたら文句ないじゃろ!
全曲アメリカでやる!それでええな!」

侍である・・・いや、立派なアホである・・・
そしてワシのアメリカ行きが決まった。
何せ今からデータを全部整理してFTPにUPしてアメリカでダウンロードするより、
ワシが今からハードディスクを担いでアメリカに飛んだ方が早いのである。

ひえぇーーーっとばかり、さっそくチケットをブッキングする。
「明後日のLA行き1枚お願いします」
っつうんだからチケット会社もびっくりする。
「ビザの方は問題ありませんよね」
と聞かれ、「日本人はビザ要りまへんがな」と言おうとして思い出した。
ワシのパスポートは北京で更新し、北京の日本大使館で発行したので、
これは日本で発行したのと違い、機械で読み取れず、
テロ対策でやっきなアメリカにこのパスポートで行くのにはビザが必要なのである。

大使館に問い合わせる。
「今年の10月以降、もしこのパスポートでまだ1度もアメリカに行ってないないなら、
今回に限りビザなしでアメリカに行けます。
入国の時、スタンプを押されてしまうので、そうしたら次回からはビザが必要です」
とのことでとりあえず胸をなでおろすが、
世界中どこにでも行けるはずの日本のパスポートがこれでは不便すぎる。
次に日本に行ったら是非日本で再発行することにしよう。

チケットもビザも問題ないとしたら、後はワシの仕事のスケジュールである。
12月6日に、また許魏(シューウェイ)と言うシンガーのバックがあるので、
リハの始まる3日までに戻ってくればよいが、
問題はワシがまたその譜面を書かねばならないことである。
徹夜で譜面書いて、そのまま米倉利紀のリハに行く。
もう翌日はライブと言うその日、リハが終わったらそのまま会場にてサウンドチェック、
夜中までそれをやって翌日は朝8時からリハと言うので、
こりゃヘタしたら帰れまいと言うことで着替えや荷物等を用意する。
一応そのままアメリカ行けるように荷物を用意してゆくところがワシであるが、
案の定それが役に立つこととなる。

サウンドチェック終了後、そのまま会場の近くでホテルを探す。
シャワーも浴びず、4時間だけ仮眠を取ってまた会場へ・・・
通訳代わりにバンドの控え室ではなく、米倉利紀のゲスト楽屋に詰めてろと言われるが、
このソファーが気持ちよくて、通訳もせず、つい爆睡してしまう・・・

ライブは無事に終わり、機材等を片付けて打ち上げに向かうが、
その中でワシの電話はひっきりなしに鳴る。
零点(ゼロポイント)が最終的なデータの整理をしているのである。

打ち上げ終了後、そのままスタジオに行き、
朝ぎりぎりまでデータを整理し、出来たデータを持ってそのまま飛行場に行き、
そして成田で4時間トランジット・・・

いい湯だな、ははん・・・

風呂に入るのも数日振りじゃが、湯船に入るのは数週間ぶり、
4時間もあればよよいのよい。
いろいろ考えるにアメリカでの支払いはどうする?
見れば日本円がこんなに高いではないか・・・

スタジオで零点(ゼロポイント)にどさっと人民元の札束を渡されるが、
こんなもん持って税関通るわけにもいかんし、
何より中国では闇両替じゃないとドルに換えられん。
今は成田やアメリカでも換えられるがレートが安い。
いつものように日本から美人秘書に送金させても手数料が結構高い。

そうか!4時間もあったら外に出て、
つまり日本に入国して、キャッシュカードでありったけの現金を引き出し、
それをドルに換えて持って行けば一番ええんとちゃうのん!

風呂から飛び出てイミグレーションに並ぶ。
外に出たら、と言うより入国したらどこにキャッシュサービスがあるかは覚えている。
いつも着いたら日本円おろしているからである。

ありったけの額をおろそうとして愕然となる・・・
「残高4700円」・・・
これが45歳の一家の主の口座の残高か・・・

日本の携帯を取り出して電源を入れ、片っ端から電話する。
「誰か今から成田に50万ほど持って来てくれんか・・・」

誰も相手にしてくれないのでコンビニで歯ブラシと髭剃りを買って、また中に入る。
・・・と言うよりもう一度出国する。

また同じシャワールームに戻って来て風呂にお湯を入れ、
「いい湯だな、ははん・・・」

しまったぁ・・・入浴剤もついでに買って来るんじゃったぁ・・・

ファンキー末吉


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