崔健ライブレポート
北京で年末に行われている崔健のライブを現地からレポートします。


崔健(ツイジェンとは)

 数多い私の友人の中でも一番有名人、スーパースターと言えば彼しかいないだろう
 なにせ彼は中国人、いや、世界の人口の5分の1を占めると言われている華人の誰しもにとって、かけがいのないワン・アンド・オンリーのスーパースターなのだから。
 とかく西側諸国では彼を政治的な人間だと取り上げることが多いが、素顔の彼は、むしろ「音楽バカ」と言っていいほど純粋にただ音楽を愛する男である。
 お国柄のせいか、時代性か、はたまたそう言った無責任な西側諸国の報道のしわよせか、とにかく彼はなかなか地元北京でコンサートをやる機会に恵まれない。
 そんな彼が、この年越しに北京でコンサートを行う! これは私のみならず、中国ロックを少しでも知る者にとっては何事にも代え難いビッグニュースである。
 日本でこうしてパソコンの前で座ってなければならないのがじれったくてしかたがない。
 こうして少しでも彼の近くで、中国ロック、いや世界中が忘れてしまった「本物のロック」と言うものの行く末をせめてこうして見守って行きたいと思う。


特別特派員「佐藤清美」


 年齢不祥、性別女性、国籍日本(たぶん)、日本語、中国語、英語を喋り、日本、中国、台湾、シンガポールなどに出没する。
 このライブレポートは、以下のようなきっかけで始まりました。

Subject: 北京でインターネット接続大成功の巻
Date:  Sat, 28 Dec 1996 22:19:59 +0800


末吉さんへ

こんにちは。お元気ですか?
私は今、このメールをJAZZ屋2号店で書いておりますです。すごいことです。
そして、な、な、なんとこのメールアドレスを見よ!(注釈)中国のアカウントを取ると、「jp」ではなく、「cn」とつく
清美さんは中国にもアカウントを取ったのです。これは自分でも信じられない快挙です。
それも今日、たまたま中関村の四通公司へ行った帰り道、そこの店員のおにいちゃんが教えてくれた会社がプロバイダーの会社で、私はすぐに申請してUser IDとパスワードをもらい(自分で決める)夜の7時から通信に成功しました。
それでは、この北京よりの第1回、記念メールがうまく届いていたら、すぐにですねわたくしに返信メールを下さい。お待ちしております。
ではまた北京より報告します。

Date:  Sun, 29 Dec 1996 15:56:51 +0900 (JST)



> おめでとう! これは凄いことです!

ありがとう。私も自分でもすっげえ〜!なんて興奮してます。

私はきょうは、これからツイジェンの事務所に宅配屋として行くのじゃ。
あしたの夜、彼等のライブが北京であるらしい。詳しい情報はまた後程。
ではまた。

Date:  Mon, 30 Dec 1996 00:22:59 +0800


At 5:23 PM 96.12.29, Funky-s wrote:
> ツイジエンによろしく。

かしこまりました。確かにお伝えしておきます。末吉さんのホームページ見せてあげようかしら。
ツイジエンのホームページは作る予定らしいが、まだそこまで到達していないそうな。
メールのやりとりで精一杯らしいよ。
明日、明後日と友誼商店裏の向日葵というところでライブがあるそうな、私も見にいくから現地より実況生中継できるの〜、すごいぞ。興奮がビシビシ伝わる中継メールを送るからね。今からすでに興奮している私。久しぶりに彼等のライブ見るからね〜、うん。
日本は年末で街中盛り上がっているんでしょうねえ、ここの閑散とした風景と違って ...........。 今年はツイジェンライブで97年のカウントダウンをすることになりそうです。

Date:  Mon, 30 Dec 1996 10:17:39 +0800


特派員としては、もう今から興奮しとる。ツイジエンに君のホームページを見せて、彼を刺激しよう。
対応をたのむよ、よろしく。
それではまたリポートを入れるから待ってておくれや。

では。

Subject: ツイジェンライブ実況生中継! Date:  Mon, 30 Dec 1996 16:52:09 +0800


末吉さん

私は今、ツイジェンを目の前にしてこのメールを書いております。
といってもリハーサルなんですが、すっごい音量です。興奮してふるえております。
今、やっている曲は「解決」です。
メンバーはキーボードとギターのメンバーが変わっただけで、あとは変化ないようです。

あ、ベースの張玲と目があってしまった。にこっと笑って会釈をしてくれたわ、覚えていてくれたのね、私のこと。ますます興奮してしまいます、どうしよう、キーが打てなくなってしまいそうだ。
曲が「飛了」に変わった、しかし暫くぶりですねえ、彼等のライブは。
劉元の髪形が変わった。短くなっている。そして、あのトレードマークのひげがなくなっている!これは事件だ。ツイジェンは変化ないようです。
そういえば張玲の髪形も変わって短くなっているのに気がつきました。
本日のツイジェンの服装はですねえ、グリーンのTシャツ(赤い星がついているマーク)ですねえ、この寒いのに。元気ですねえ、あいかわらず。

曲が変わりました。これは佐藤特派員もしらない曲です、何だろう?
ここの店の従業員たちも動きが活動的になってきました。


Subject: 速報!!ツイジィエンライブ大混乱!!
Date:  Tue, 31 Dec 1996 03:06:51 +0800


佐藤特派員より夜中の速報メール! 世の中、こんなことが起こってよいのであろうか!私は今、怒りと失望で胸中震度7ぐらいに達しており、もうすぐ沸点に到達してしまいそうです。
なんと、信じられない事態が起きました。
ツイジィエンライブが中止になった........................絶句。
それもリハーサルもみんな整って、お客さんも入ってからのこと。原因はいわずもがなや、そう、あれしかない。あれです、はい。
と、言ったところで一般の方たちはその「あれ」が全くわからないでしょうから、説明しないといかんですね。
「あれ」とは=「公安局」のことです。
末吉さん、私はこの北京に暮らしておった間、いろいろツライことだらけだったけど、こういう目にあったことはなかったからねえ、うわさには聞いておったし、夜中の検問とかなら一応体験したけど、本当にあるんですねえ、こんな圧力が。

特派員は何をどうお伝えすればよいのか、今現在あたまが相当キレています。楽しみにしていてくれた人がいらっしゃったら申し訳ない。でも、私のせいではないのでご勘弁を。すべて中国の当局の御方たちがなされたことなので、特派員としても辛いところです。

ことのおこりは、ライブが始まって(新人バンドの子曰→今、手元に辞書がないので読み方わからん、末吉さん調べておくれ。でも、彼等もなかなかよかったよ。3人組で来年2月にCDを出す予定らしい)間もなくたった頃、東西公司の李さんが私の耳元でささやいた。
(以下、やり取りは中国語だったが日本語に訳して記述。)
李さん「どうやら公安局が来ているらしい、彼等はツイジィエンのライブをやらせないだろう。」
佐藤「ええっ!どうして?じゃあ、どうするの今夜?ツイジィエンはライブできないの?」
李さん「恐らくダメだろう、やったらみんな捕まる。そうしたらこれからもっと困る......。どうしたらいいか今考えるから。」
・・・・・・・・・・・佐藤は卒倒しそうになった。

スタッフの動きが慌ただしくなった。マネージャーたち、プロデユーサーたち、メンバー、みんな集まって討議をしている。もちろん、お客さんたちもざわざわし始めた。
私は新人バンドの子曰がライブをやっている間、ずっとツイジィエンの隣、その距離5cmといったところにいた。いや、寄り添っていたといっても、そう思われていたとしてもおかしくない距離であった。
で、彼といろんな話もしたし、「ファンキーさんがよろしくって言ってたよ」と言ったら、「ありがとう、彼は今、北京にいるの?」なんて結構フランクな雰囲気でおしゃべりしとった。
が、その速報を聞いて私は怒りが頂点に達し、ツイジィエンに聞いた。
佐藤「崔健、歌うの?公安は歌わせないらしいけど?」
崔健「いや、俺は歌わない。今ここで歌って、後々歌えなくなったら困る。歌わない。」
佐藤「そ、そんなのってひどい。中国って、どうしてこうなの?まったく自由がないじゃない!不自由きわまりないし、道理がない!矛盾している、何が開放だ、何も開放なんかしていないじゃない!」
崔健「・・・・・中国っていうのはこうなんだ。・・・・」
佐藤「私にはどう考えても理解できない、いや、理解しきれない................。」
崔健「まったく。」
怒って崔健にくだをまいても本人が一番悔しいのは百も承知しているが、誰かにこの怒りをぶつけないと気がおさまらなかった。
崔健は、わりと冷静だった。彼はいつもクールだが、こういう時も慌てふためいたりしない。私と違う。客観的かつ冷静に物事を判断する。後に起きるであろうことまで予測して考える人だ。やはり、スゴイ、さすが中国ロックのカリスマだ。

それはいいとして、スタッフたちも協議の上、ついに崔健に歌わせるのを諦めた。来年にまた新しいアルバムがでる(らしいとのこと→佐藤情報)にあたり、また問題が起こったら厄介なことになるのは目に見えている。
仕方がないので、サックスの劉元がソロでサックスの演奏を始めた。劉元は毎週金曜と土曜に北京のCDカフェというところで自分のライブをやっている。なもんで、そのライブの延長みたいな感じでサックスを吹き始めた。
崔健はそれを、客席サイドから(平面スタンディングのフロアだが)見守っている。
みんなが崔健に声を掛ける。
彼はビールを飲みながら、劉元のサックスを聞いている。どんな気持ちなのだろう。
察する術もない。
私は李さんと崔健と3人でビールを持って乾杯をした。
「来年は日本に来て演奏してね。」と言って。
崔健もうなずいて、「必ず!」と乾杯してくれた。佐藤特派員、涙がうるうるとしてきて困った。
いったい、この国は何なんだ。
私の中でも、中国のことを知れば知るほど矛盾が生じてくる。それは自分では解決できない、どうしようもすることができない矛盾である。 でも、その矛盾と正面から向き合って音楽を追及する彼の生き方が、私はどうしようもなく好きだ。
だから、その方面の当局から目をつけられるのだが。
(私は今、このマックのCDーROMで彼の曲を聞きながらこのリポートを書いている)

お客さんも崔健が歌わないということで、ばらばらと帰り始めた。東西公司の人たちもなす術がないので、劉元のサックスライブを聞いている。
劉元のライブが終わったら、お客さんはほとんど帰ってしまい、関係者と幾らかの人たちが残っていた。
最後に、新人バンドの子曰のボーカル(名前を聞くの忘れた。明日、報告します)が崔健の代わりに2曲、彼の歌を歌ってくれた。「一塊紅布」と「花房姑娘」だ。私は一緒に我を忘れて歌った。胸の中は、悔しさでいっぱいだったけど、まわりのみんなもそうだったのだろう、みんなで歌っていた。
私の前に座っていたプロダクションマネージャーの劉さんも歌っていた。

明日も、一応同じところ(北京友誼商店裏にある日向葵というライブハウス)でライブの予定が入っているが、恐らく今日と同じように中止になる可能性が高い。
しかし、どう転がるか明日にならないとわからないのがここ、北京だ。
佐藤特派員もまた明日、もちろん出向く。崔健にも「また明日!」って言って帰ってきたし、東西公司のスタッフたちも「明日も来るんだろう?」と言ってくれたし。

そういうことで、大混乱の速報となってしまったが、あすはどうなるか乞うご期待!
という一面もまだ可能性としてはあるので果報は寝て待ってください。
あ、もう3時だ。眠い........頭がぼ〜っとしてきたので、明日に備えてきょうのリポートはこのへんで終わります。
佐藤へのご質問、その他はkiyomi@dynanet.ad.jpまでどうぞ。


私も一度、コンサートが公安によって中止される現場を見たことがあります。
そして私自身そのような目にあったことがあります。
This Is CHINA!
世界中で口にされるこの言葉であるが、そんな環境の中でもいつも自分の信じる音楽をやり続けてる奴等がいる!
それだけで私は、こうして抜け殻となった「ロック」と言う文化を引きずりながらも勇気を持って真っ直ぐ前を向いていくことが出来る。

番外編(笑える)

Subject: とんだ災難。もう中国国際航空には絶対に乗らない!!
Date:  Sun, 5 Jan 1997 02:40:55 +0900 (JST)


末吉さん メールを受信しました。私はこのアカウントでメールを送らせていただくと思います のでよろしく。
さて、私は今、どこでこのメールを書いているとおもいますか?
な、な、なんと成田空港近辺のホテルです。
ことの起こりは昨晩から降り始めた雪のせいです。朝起きてみたら大雪で、
「こりゃ、たいへん。日本へ帰れるかしら?」
と一応心配しながら首都空港へ向かいました。
(タクシーの司机には200元出さなきゃ、空港行かないってボラれるし)
で、朝の7時10分にはチェックインして、ロビーで待つこと何時間でしょう。それも、22番ゲートという最悪のところでさっむい、ふきっさらしの風がビュンビュン入ってくるところで、私たち乗客は10時間も待たされたのでした。何の報告、状況説明もなく、アナウンスももちろんなく、ただひたすら待たされて、私はついにキレました。が、それも無駄でした。わかっていながら食ってかかった私も無駄な労力を使いました。
全日空、日本航空は定刻より少し遅れて飛び立ちました。朝9時20分発の中国国際航空925便は定刻より10時間遅れで首都空港を飛び立ち、成田に午後10時15分につきました。
しかし。
私は家に回不了でした。バスがない、電車はあるけど、荷物がたくさんあって間に合わない、帰れない。
仲間がいました。
CAのほうで、東京までのリムジンを臨時便で出しました。が、対処はそれだけです。東京まで帰っても、みなそこから先が帰れないのです。
中国人の乗客とCAの東京事務所の代表とで電話での交渉が延々と続きましたが、あくまでCA側は
「飛行機が遅れたのは我々の責任ではない、天候のせいだ。」
とのたまいます。
さすがの中国人乗客も怒りました。
「帰る手段ならタクシーでも帰れる、ホテルでも泊まれる、しかしそういう問題ではない。会社として、航空会社としての責任として乗客に対する責任は保証しないのかという問題だ。」
もっともな道理です。

と、いうことで延々と交渉は続き、リムジンバスにも乗れない乗客が出てきて、事態の収集がつかなくなったため、CA側はしぶしぶと乗客をホテルに宿泊させるという解決方法を打ち出しました。

今回の旅は、災難続きでした。最後まで、これです。
もう、2度とCAなんかに乗るもんか、中国に行く時は全日空かUAだ。全日空ならマイレージがたまるし、やはり、こういうときの保証、責任問題を考えると、安いだけで航空会社を決めてはいけないということを今回痛感いたしました。
次回、行く機会があれば私は高くても、とび丸で行く。

今回もやっぱり全日空にすればよかった。はあ〜っ。疲れた。
しか〜し、このあまりの責任のなさに中国の明日をかいま見たような気がしました。
中国に明日と言う日は、「希望」ということばはあるのでしょうか?

あまりの怒りで私は今、中南海にヤバイ写真と共にこの一件も手紙を書いてしまいそうじゃ。
金はだましとられるし(注釈、彼女は中国人男性に金を騙し取られた過去を持つ)、飛行機に乗ればこれだ。
今の私はかなり不信感に襲われている。まずいです。

みなさん、中国国際航空は問題が起きても決して責任を取らない航空会社です。
それを承知で乗りましょう。
私はもう2度と乗らないけど。

では、励まし、ご意見メールをお待ちしています。
北京、お気をつけて。

それではまた。

KIYOMI SATO


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