ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第50号----

2001/10/29 16:54

全世界の人がなるだけ飛行機には乗らないようにしようとしている昨今、
北京-東京を毎月2往復しているアホである。

東京には家はなく、かと言って北京に家があるわけでもなく、
東京ではドラム部屋と呼ばれるドラム倉庫に荷物を置き、
北京ではJazz-ya北京の安田のマンションに荷物を置き、
まあその日の泊まるところがなければそこに帰ると言う気ままな生活である。

ある日安田のマンションに帰ってきたら、
あらゆるところに「騙」と言う張り紙がしてある。
聞けば、もともとこのマンション内の広大な敷地は、
将来は大きな湖と公園を作ると言うことで入居したところ、
マンション側が約束を破って
そこに新たなマンション棟を建てようとしているところから事件は始まったらしい。

そう言えばある日、その広大な敷地の壁を住民達が
ベルリンの壁よろしくみんなで壊しているお祭り騒ぎを目撃したことがあるが、
それはこれが原因となっていたのかと納得した。

さてこの争いは次第にエスカレートしてゆき、
最後には人が死んだらしい。

人が死ぬと言うと、喧嘩による撲殺等を想像するがどうもそうではなさそうである。
中国人の友人の説明によるとその人が「気死了(チースーラ)」、
「気」とは怒ることで、これは通常は「死ぬほど腹が立つ」と言うことなのだが、
「だから腹が立ってどうして死んだの?」
と聞いても、「だから気死了(チースーラ)なんだよ」で埒があかない。
よくよく聞いてみると、本当に「気」して「死了」、
つまり怒って死んだ、憤死したと言うことなのである。

三国志演義じゃあるまいし、この現代で憤死などと言う死に方があるのか・・・

その死んだ人はマンション側との交渉で、
本当に死ぬほど腹が立って、そして30分後に死んだらしい。

憤死・・・なんとも凄まじい死に様ではなかろうか・・・

さて、そんなマンション騒動はお構いなく、北京のJazz-yaは好調らしく、
となりの日本料理屋「飯屋」や、焼肉屋「牛屋」、
(中国はまだ狂牛病の影響は皆無である)
そしてちょっと離れたところにあるSushi-Bar「すし屋」も好調らしい。

だいたい儲かっているところに集まるのは金と泥棒で、
泥棒対策は商店ではどこでも頭の痛い問題らしい。
牛屋には毎回決まった曜日に窓を割って泥棒が入り、
さんざん引っ掻き回したあげく盗る物がないのでタバコを盗んで帰ったりしてたらしい。

業を煮やした従業員が、赤外線アラームなどを設置して泊り込みで番をしてたところ、
やはり同じ曜日に侵入して来た泥棒と遭遇、
日ごろの恨みを込めて袋叩きにしたそうな。

泥棒さん、まさしく瀕死・・・

割ったガラス、壊した設備、盗んだタバコ、
身元を完全に調べ上げ、
損害総額の5倍額を請求、払えなければ警察に突き出すと言ったところ、
警察なんかに突き出された日にゃあ瀕死じゃすまないほどもっとボコボコにされるので、
泥棒仲間から金をかきあつめ、かなりの大金を払って勘弁してもらったと言う。

北京の泥棒さん、今や完全にネットワークがあり、
「捕まる」と言う泥棒商売の経営リスクを、このネットワークで軽減しているらしい。
金は耳を揃えて払った。

それにしても盗んだタバコに対して
払ったこの金額、そしてボコボコで瀕死ではあまりに割が合わんじゃろ・・・
泥棒家業も楽ではない。

瀕死・・・大変なリスク商売である・・・

さて、日本に帰ってきた。
以前北京で拾ったバックパッカーのTAKUROは、
帰国後羽田空港に着いた時には30円しか持っておらず、
ヒッチハイクをして何とかドラム部屋までたどり着き、
そこにあるインスタントラーメンなどで食いつないでいたようだが、
生まれ故郷の金沢にまたヒッチハイクで帰って以来数ヶ月、
何の音沙汰もないなあと思っていたが、今回久々にまた出現したらしい。

ドラム部屋の主、元ジャズ屋のバーテン南波の言うことにゃあ、
いきなり警察から電話があり、
「TAKUROさんと言う方は知ってますよね。身元引受人として来て下さい」
とのこと。

びっくりした南波は警察に出頭し、いろいろ事情を聞くと、
何やら再び東京には何とか着いたものの、
金もなければ腹も減って、
ついついスーパーにある大福を万引きして捕まったらしい。

・・・笑止・・・

日本では商店主にボコボコにされることも、
警察で更にボコボコにされることもなく、
こうして身元引受人さえあれば返してくれる。
平和な国よのう・・・

それにしても・・・大福か・・・
バックパッカーやるのも大変である。

ファンキー末吉


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