ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第37号----

2001/01/22 14:00

零下18度だと聞いていたのでどれだけ寒いかと思って、
モモヒキの上にジャージを着込んでからオーバーオールを着て、
XYZのファンからプレゼントされた防寒ジャンバーを羽織って北京空港に降り立った。
「あれ?想像してたより全然寒くないねえ」
同行した和佐田や団長がそう言う。
「本日の気温は零下4度で御座います」
ガイドさんがそう言うのを聞いて
「それは暖かい!」
とつい思ってしまうのは、
言い替えると、「うちの嫁が怒ってないから最近優しい」と言うのと同じである。
人間の順応性と言うのはまことに偉大だ。

「末吉さん、来週スケジュール空いてません?
李波の結婚式をプーケットで挙げるんですけど末吉さんも来れません?」
李波とはJazz−ya北京の実質的社長。
最近は人民代表にも選ばれ、偉くなっている。
「中国人が春節でみんなタイに行くんでホテルがとれないんです、
末吉さん最近タイで仕事してるって言うから、
そっちのコネで何とかホテル押さえられませんかねえ」
中国人もめっきり豊かになって、
ビザも取りやすいと言うことから旧正月はこぞってタイのリゾートに出かけるのだ。

さて俺はと言えばこの2週間の間に、
摂氏30度近いタイから零下4度の北京に降り立ち、
またすぐにそちらに戻って行こうとしている。
環境にすぐ順応してしまう自分が情けないが、
出来ることならずーっと一生南国で暮らしたいものだ。
とにもかくにも、また常夏のタイに戻れることは真に嬉しいもんだ。

さて、そんな末吉の最近のタイ好きを受けて、今日のお題。

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北京やっぱりいいとこ、一度はおいで・・・
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いつぞやから北京に魅力がなくなり、足が遠のいていた。
タイプロジェクトも始まり、またタイ人の心優しさに惹かれ、
そしてタイで頑張る日本人のたくましさに刺激され、
仕事もあるので足げにタイに足を運んでいるのを、
Jazz−ya北京の安田をはじめ、
末吉のせいで人生を棒に振って北京に身を投じている多くの人々は
内心それをあまり面白く思ってなかったと言う。

私の著書、「大陸ロック漂流記」は、
北京の留学生や日本にいる中国ロックファンの間ではバイブルになっていると聞く。
それに影響されて「ロックの聖地」北京に足を運んだ人も少なくないと言う。
その著者が「もうやめた」はないじゃろ!と言うことである。

今回友人の結婚式に呼ばれ、
和佐田や団長と一緒に結婚式で演奏して花を添えたのだが、
その夜、地元のバンドと一緒にライブをやらないかと持ちかけられた。
仕掛け人は小龍と言う、ついこないだまで北京の日本人留学生だった男。
今は帰国して、親の事業の一環として
渋谷パルコPart2の7Fで小龍茶館と言う中華レストランをやっている。
帰国した留学生によくあるのだが、
やはり北京が好きで、何とか中国と関係ある仕事をやりたいと言うことで、
どうせ親の会社で店を立ち上げるなら中華系にして、
買出し等の理由で北京にまた来れるじゃないかと考えてのことである。

行けば必ず地元のバンドのライブを企画すると言う彼だが、
今回たまたま俺たちと同じ時期に北京に来ていたと言うことで、
彼が一番入れ込んでいる「痩人」と言うバンドと俺たちとのライブを組んでくれたのだ。

俺が最初に足を踏み入れた10年前とは違い、
今は北京でも世界中の情報がリアルタイムで手に入り、
楽器や演奏出来る場所も容易に準備出来る。
ちょっと大げさだが「ロックやるのも命がけ」と言う当時とは全然違うのである。
黒豹をはじめ、ロックで大成功して大金持ちになった人たちを見ながら、
いとも簡単にファッションや金儲けでバンドを始める。

去年二井原と北京に来た時、地元のパンクバンドの演奏を聞きに行った。
演奏もヘタ、音楽性も流行りのハードコアそのもので面白くなく、
人間のオーラもパワーも皆無で、聞いてて退屈なことこの上ない。
そのくせ口を開けば、
「俺たちは満たされてない。
世の中は矛盾に満ちている。
俺たちは世界を変えるんだ!」
アホかい!と言うやつである。

俺が初めて北京に来た時、偶然地下クラブで黒豹のライブに遭遇した時、
同じようにヘタクソだった彼らの演奏には何かがあった。
ワクワクするような、ドキドキするような、
「こいつらはこの国の何かを変えてしまうに違いない」
と言う圧倒的なパワーやオーラがあった。
実際彼らはこの中国の音楽界を変えた。
売ってはいけない精神汚染音楽とされていたロックが海賊版で全国に広まり、
ロックは金になると知った政府はロックと手を結び、
当時放送で流してはいけなかった精神汚染音楽は、
今や若者の文化として堂々とテレビ、ラジオで紹介される。

それを見て聞いて育った次の世代の若者が、
容易に楽器を手に入れ、容易に情報を手に入れ、
楽器の練習をすることもなく容易にステージに上がり、
ファッションでパンクを気取ったって、
俺はお前らに世界が変えられるとは思わんよ。

でも君らの先輩達は中国を変えた。
ロックを変えた。
そう、ある意味、商業的にね。

一昨年の黒豹のオリンピック・スタジアム8万人コンサート。
偶然彼らの節目節目の大きなコンサートに遭遇する俺だが、
北京で開かれるロックコンサートとして歴史上最大であったこのコンサートは、
後で思えば、ある意味、中国ロック終焉の宴であった。

その後彼らはオリジナルアルバムを出していない。
俺の親友でもある彼らの元社長のシェンは俺にこう言った。
「奴らもうやる気なんかないよ。
レコード出したって海賊版で金になんかならないしさぁ。
みんな金儲けに忙しいもん。
集まってリハーサルして、集中して頑張るのもめんどくさいしさぁ。
それぞれ自分の商売に精出してた方がよっぽどいいんだよ」

俺の世代のロッカーはもうダメ、新しいロッカーは話にならないんじゃぁ、
こんな国のどこが面白い?
思えばそんなこんなで気が付けば足が遠のいていた俺であった。

結婚式の2次会終了後、迎えに来た小龍のタクシーに乗せられて、
海定区にあるライン河と言うバーの門をくぐった。
10年前はマキシムと外交員クラブぐらいしかロックが出来なかった時代とは違い、
こんなバーは今や北京に数限りなくあり、
昔と違って門をくぐった瞬間に感じる「ヤバいよ、ここ」と言う緊張感がない。
全てが「普通」なのである。

9時から始まる予定だった痩人の演奏は、10時を回った今でもまだ始まっていない。
「先に始めといてくれればいいのに」
と言う俺の意見を聞き入れず、
客を何時間待たせても俺たちが着くまで演奏を始めるなと指示していたのだ。

「よう!ファンキー!」
昔の仲間の顔がちらほら見える。
「ファンキーごめんねぇ」
李慧珍が遅れてやって来た。
初めて出会った時は田舎丸出しの小娘だった彼女も、
俺がプロデュースしたデビューアルバムがヒットして、その年の新人賞を総ナメ。
しかしその後、事務所と契約で大モメ。今はホサれている。
どうせなら何か1曲一緒にやろうと呼び出していたのだ。
ギタートリオでインストの曲ばかりしか出来ないので、
名前もあるし、せっかくなら花を添えてもらえば助かる。

痩人の演奏などそっちのけで、楽屋で和佐田と団長のために譜面を書く。
譜面渡されてすぐに弾ける彼らはまことに便利である。
軽く構成等を打ち合わせした後、李慧珍は楽屋を出て彼らのステージを見に行く。
うちの嫁が前回里帰りをした時、彼女に連れられて彼らのステージを見に行って、
「痩人、よかったわよ。私が黒豹のライブに通ってた頃を思い出しちゃった」
と言ってたのを思い出した。
「まあ、後で本人達と酒飲む時に、見てなかったでは悪いので、
ちょっとだけ覗きに行こうかな」
ぐらいの気持ちで客席に行ったら、これが思いの外かっこよくてびっくりした。

「為了自由歌唱!為了自由歌唱!」
ハードコアのようなファンクのようなサウンドに載せて連呼する。
「和佐田ぁ、ごっついええでぇ。見においでや」
譜面をおさらいしていた和佐田も
「ツェッペリンとかを彷彿させるバンドやねえ・・・」
と誉めていた。
「まずいなあ・・・こんな雰囲気でインストなんかやってもどっちらけやでぇ・・・」
客席の盛り上がりを見て心配する俺を、
「大丈夫、団長は1曲目から絶対凄いソロやるから、ほら」
和佐田に促されて客席に目を落とすと、
ギターを弾く時以外は無口で病的に内向的な団長が
客席で熱心にステージをチェックしていた。

痩人の演奏が大盛り上がりで終わり、
そのまま俺たちはステージに上がってセッティング。
だらだらとセッティングが終わってそのまま演奏が始まった。
1曲目から団長と和佐田はかなり気合の入れたソロを披露し、俺に渡した。
煽られて、俺も養生している手首をかまうことなくドラムソロをやってしまう。
2曲やってMC。
最前列1列は噂を聞きつけた日本人だが、大半は中国人なので中国語でMCをとるが、
思いの外ウケているのを実感する。
ジェフベックの曲を2曲やった後、李慧珍を呼び込んでセッション。
その後は最後の曲である。
お決まりのように団長はソロでギターをぶち壊し、アバンギャルドに幕を閉じる。
笑いと驚愕と大歓声の中、俺たちはステージを降りる。

「よかったっす、本当にありがとう御座います」
小龍が感激して声をかけて来る。
「凄いわぁ、ボーカルもいないのにこれだけ客を掴むなんて、なんて実力なんでしょ・・・」
李慧珍が感激して楽屋に来る。
「バンドと一緒にライブしたのって久しぶりよ」
中国では、歌手はカラオケを持って歌いに行き、
ヒット曲を歌って日本円で数十万もらって帰る。
海賊盤が売れて儲かるのは、
その海賊盤業者だけではなく、営業値段が釣り上がる歌手自身である。
ちなみに中国のプロダクションシステムは、
日本のとは違い、手数料制の日本で言うインペグ屋と同じである。
投資は事務所やレコード会社がして、儲けは歌手が全部持ってゆく。
これでは投資なんかしようと言う会社などいなくなるわけである。

楽屋で酒盛りが始まる。
痩人のメンバーが酒を振舞い、ロック談義に花が咲く。
「小龍は俺の義兄弟さ」
そう言う彼らを見て、10年前の自分を思い出した。

今回のこのライブ、主催は小龍個人。
経費は全て彼の持ち出しである。
北京のロックミュージシャンに刺激を与えたいと言う理由で、
我々の渡航費の3分の1を負担すると申しだしたのも彼である。
俺はともかく和佐田や団長のギャラを自腹で出すのも自分である。
そんな援助を受けながら痩人はその才能を磨き、もっと大きくなってゆくだろう。
そして家を買い、車を買い、女をはべらせて肥え太ってゆき、
最後には金儲けに忙しくなってバンドなどやってられなくなるのだろうか。

「ファンキーさん。痩人、どうでした?」
小龍が恐る恐るそう聞く。
「いや、物凄くいいバンドだと思うよ」
小龍の大きな目的の中に、この末吉のこのバンドを見せることがあったことはまぎれもない。
「それじゃあ、俺たちの素晴らしいお兄さん、ファンキーと、
日本から来てくれた素晴らしいミュージシャン達に乾杯!」
小龍の思惑通り、痩人と俺たちはこうして友情を深めてゆく。

あの時、同じように黒豹に朋友と呼ばれ、北京に足げに通い詰め、
安田と「中国人から1元でも取れた時に乾杯しましょう」と、
将来は移住するつもりで全財産をこっちに持ち込んで、
結局、商売としては安田は1元どころか巨大なBarを大成功させ、
音楽としては俺は相変わらずまだ李慧珍のために何かをやってあげようとしている。
そんな俺も今では「朋友」ではなく「お兄さん」になった。
そして10年前の俺のようなバカがこうして、
新しい世代のバンドに入れ込んで「お兄さん」を担ぎ出そうとしている。

為了自由歌唱!
自由の為に歌を歌う!

彼らが本当に自由の為に歌を歌っているのかどうかはわからない。
「中国人なんてみんなお金のために歌っているに決まってるじゃない!」
同じ中国人であるうちの嫁が笑いながらそう言う。

どっちでもいいや、かっこよければ。
ウソだって何だって、俺は感激さえさせてくれるなら何だってやるよ。

XYZの100本目のライブを初めて見に来た男の子からMailが来た。

「誉めることはいろんな人が言うでしょうから、
僕はちょっと物足りなかった部分をMailに書きます。
僕はいつもB'zとか、ユーミンのコンサートを見ているので、
照明や特効もないステージははっきり言って退屈でした。
あと、各人楽器のソロをやられてましたが、
僕は楽器のことはよくわかりませんのであまり面白くなかったです」

まあそう言われても俺達にはどうしようもない。
照明や特効で彼らにかなう資金力は俺達にないし、
まあ楽器に興味のない人に感激を与えられなかったのは、
言ってみればパフォーマーとしての俺達の技量の不足かも知れないが、
まあひょっとしたら彼を満足させることが出来るステージは
俺達には一生出来ないんじゃないのかなあ・・・。

音楽の楽しみ方は人の勝手である。
Aみたいなのが好きな人がいて、Bみたいなのが好きな人がいて、
どちらも人の勝手だし、
でもその人数によってメジャーかアンダーグランドかが決まる。

中国でも体育館でやる歌手はメジャー、
ライブハウスでやるロッカーはアンダーグランド。
しかしある瞬間からそれが逆転した。
お決まりのオムニバス歌謡ショーよりもロックバンドの方が客が入るようになった。
そしてそのロックが歌謡ショーと変わらなくなってゆく。

精神汚染音楽とされている音楽を海賊盤で入手し、
それに熱狂して地下クラブに通う時代は中国ではもう過去のものなのである。
人々はテレビやラジオでヘビーローテーションの曲を聞き、
街で大きく広告が打たれている商品を手にする。
「売れるか売れないかなんてどれだけお金をかけたかだよ」
そう言い切るシェンの手がけた歌手の看板を街角でよく見る。
彼から頼まれて俺がアレンジした彼女の曲もチャートに入っていた。
この街はもう日本となんら変わりはない。

感心はするけど感動はしない音楽が多い昨今、
むき出しの裸で俺を感動させてくれた北京のロッカー達のために、
俺は俺なりに感謝とリスペクトを込めて、いろんなことをここ、北京でやって来た。
そしてそんな俺達の世代のロックは終焉を迎え、
しかし次の世代のロックには次の世代の俺のような奴がそばにいて、
俺と同じようなバカをやっている。

バカはいい。
感心はしないが感動する。

まあそんなバカがいる限り、俺も中国からは卒業出来ないかな、
なんて考えてる俺は、やっぱバカな「お兄さん」なのかも知れないなあ・・・

なんてことを考えてしまった極寒の土地、北京。
ちょっと心は暖かかった。

ファンキー末吉


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