ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第30号----

2000/10/21 19:30

三井はんと言う男がいる。
アホである。

その昔、通称TOPSマンションっつうのがあって、
和佐田を含む、TOPSと言うバンドのメンバーが池尻のマンションで合宿生活をしていた。
私やジャニーズのグッバイのメンバーなどがよく出入りをしていたのだが、
この話はとある狂乱の宴の夜のこと・・・

酔いつぶれずに残ったメンバーは私とグッバイのドラマー、えとうこういち、
そしてTOPSのボーカリスト、三井はん。
人間あまりに多量の酒を摂取し、あまりにアホなことばかりを喋っていると、
次第に特殊な脳内麻薬、アホデッシャネン(すまん!今勝手に命名した)が分泌され、
危ない薬物などやらなくてもそれに匹敵するぐらい十分ハイになるらしい。

その夜、どれぐらい飲んだかは定かではないが、
気が付いたら三井はんは素っ裸であった。
どんなアホな話をしてたかは定かではないが、
すでにみんなは危険なぐらいアホデッシャネンが分泌され、
ハイになっていて気が付いたら全員素っ裸で車座になって笑い転げていた。

笑い転げると言う表現が日本語にあるが、
人間、あまりにおもろいことがあると、本当に転げまわって笑うようだ。
何を喋っていたのか全然記憶にないが、
男ばっか全員素っ裸で酒を飲んでいると言う特殊な状況が拍車をかけ、
もう誰が何を言っても文字通り、転げまわって大笑いをしていた。

男と言うのは女と違って独特の突起物を所有しているので、
女と違っていちいち鏡等を持ち出さなくても
その突起物を自分の目で見ることは容易である。
しかしキンタマ袋の裏っかわと言うのはなかなか見る機会はない。

その夜、私は真正面に座った三井はんが笑い転げる度に、
そのキンタマ袋の裏っかわと言うのを初めて真正面に見据え、
「ああ、キンタマ袋の裏ってこうなっとんのか・・・」
とまたアホデッシャネンの分泌が促進され、
そんな特殊な状況がまた酒量に拍車をかけ、
今や誰がどんなギャグを言っても笑い転げ、
そしてまたその状況がどんな特殊な状況に変化したとしても、
誰もそれを不思議だとは思わず受け入れてしまう、
そんな夜であった・・・・

誰が言い出したのか
「よし、池尻神社にお参りに行こう!」
それを受けて
「せや、せや!お参りに行こう!」
もうお参りをしなければ話は始まらない、と言ったそんな新しい状況が生まれた。

TOPSマンションは246沿いにあり、
マンションの玄関を出て右に出て246の歩道を数軒行ったところが池尻神社である。

えいほ、えいほ・・・

全員で表に飛び出したのだが、
あまりに酔っ払っているので視界はまるで200キロで失踪するバイクのように狭く、
私は自分のすぐ前を走る三井はんの尻だけを見ながら走っていた。
表が心なしか部屋より明るいことは認識しながらも
「ヤバイ!いつの間にか朝になっとるぞ」とは誰も言わず、
246が通勤通学でいつものように大渋滞していることを認識しながらも、
すし詰めのバスの乗客が目を丸くしながら通り行く私たちを見ていることも、
歩道を歩く人々が悲鳴をあげながら道を空けている状況も全て認識しながらも、
何故か「前をゆくこの尻を見ながら走ることが俺の生きて来た証である」とも言うべき、
神の啓示にも似た確固たる使命感と共に数十メートルの歩道を駆け抜け、
そして右に折れて池尻神社の境内に入った瞬間に、
そこを掃除していた神主さんが腰を抜かすのを見た。

「その格好で入ってはいかーん!」
レレレのおじさんのような竹ぼうきを持ちながら、
両手でストップを出す神主さんを
「ええい!」
とばかり横に押しのけ、
私の目の前の尻はずいずいと境内の中に進んでゆく・・・

賽銭箱の前で鈴をならし、
大きな音で手をぽんぽんと鳴らし、
ふたり並んで何をお祈りしたかは今となってはもう定かではない。

えいほ、えいほ・・・
またその尻を見ながら帰路に着く。
神主さんはすでに呆然としているのが見え、
同じく裸なのだが、勇気がなくて神社に入れなかったえとうこういちが
鳥居の影に隠れて恥ずかしそうにしているのが見え、
神社を出て歩道を左に折れて家路につく・・・

反対側から来る通勤客がモーゼの十戒のように道を空け、
渋滞で同じ所にまだ止まっているすし詰めバスからは、
乗客が身を乗り出してこちらを見ているのが見え、
そしてTOPSマンションの窓からは
TOPSのメンバー達が身を乗り出して覗いているのが見え、
そこに胸を張って手を振りながらTOPSマンションの門をくぐった。

気分はまるで新記録を打ち立てたマラソンランナーである。
みんなに拍手喝采で迎えられ、
そして何を喋りながら何を飲んだのかはもう覚えていない。

そんな三井はんは今、
加古川に引っ込んで、好きな釣りの合間に
XYZのロゴやキャラクターグッズのデザインをしてくれている。

大村はんと言う男がいる。
ハゲである。

いつ頃からか頭にはほとんど毛はなく、
しかし本人も別にそれをコンプレックスに思うどころか、
人にウケと認識を得る武器として使っているところもあるぐらいである。
これもまたアホである。

ギターフリークで、
京都産業大学の軽音学部時代には
「京都三大ギタリスト」ならぬ「京都産大ギタリスト」と呼ばれていたらしい。
淀川っぺりの彼のマンションには無数のギターが並び、
そしてそこが関西での私の寝床となる。

ラグタイム・ギターと言うジャンルの奏法がある。
私がそれを最初に聞いたのは、上田正樹と有山じゅんしの「ぼちぼちいこか」であったが、
1本のギターで、ギターのみならず、
ドラムやベースの役割までこなしてしまう気色のよい奏法である。
チョッパーと言うベースの奏法が編み出されたのは、
実はその日の仕事にドラマーがおらず、
ベースが仕方なくドラムの役割もやったところから始まったと言うが、
ラグタイム・ギターこそこのような究極のひとり芸であろう。

察するに大村はん、やっぱり友達があまりおれへんのやと思う。
せやからこの奏法の名手になったんやなあ、きっと・・・

時には数日、合鍵を借りて大村邸にひとりで泊まることもあるが、
家の電話は鳴ったことはなく、
飲みに来る輩は全て私の知り合いばかりである。
そして私の酒の相手の合間に、好きなラグタイム・ギターをひとり爪弾いている。

そんなふたりがユニットを組んだ!
と言っても何も大仰なことでも何でもない。
ただ酒飲みながら一緒に歌ってただけである。
レコーディングしようと言うのもアホだが、発売しようと言うのはもっとアホである。

11月22日には全国のCDショップに並ぶ。
発売するのもアホなら販売するKingもアホなのであろうか・・・
そして何百枚も注文を出した全国のCDショップはもっとアホなのであろうか・・・
「おもろいやんけ」
と11月24日に特番を組むFM-COCOLOはもっとアホなのであろうか・・・
世も末、いやおもろい世の中になったと言うべきか・・・

一応XYZレコードはメジャーレーベルと言うことになるので、
当然ながらレコ倫の検閲を受けることになる。
XYZの2ndアルバムの歌詞、例えば
「○○と言う言葉はある特定の人々を蔑視している表現ではないのか」
等の議論が私どもとレコ倫理の間で喧喧囂囂と交わされているのを尻目に、
「ち○×ん」とか「○んずり」とかの放送禁止用語が何の議論もなく通ったりする。
相手にされてないと言うのが現状かも知らんが、それを受けて前述の三井はんが一言、
「時代がやっと俺たちに追いついたのう・・・」

いや、やっぱりアンタが一番アホやと俺は思う。
あの時一緒にお祈りしてたのはこのことやおまへんやろな!

と言うわけで今日のお題(長い前置きやなあ・・・)
「タイはええとこ一度はおいで」

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と言うわけで私は今タイにいる。

タイでTSUTAYA THAILANDから
女の子3人のグループのプロデュースを頼まれたことは以前のメルマガで書いたが、
その後TSUTAYA THAILANDの上層部で揉め事があり、
TSUTAYAの共同経営者であるインド人と日本人Sさんとが分裂してしまった。

まあ私にとっては別に対岸の火事なのだが、
今回はその後その女の子たちを連れて出たSさんからの依頼で、
過去の私が彼女達に提供した作品等の録り直しと、
新たにヒットチャートに送り込むための書き下ろし楽曲のレコーディングに来たと言うわけだ。

そして来て見たらどうも私の曲がヒットチャートに入っているらしい。
「ゴルフ場でとある有名な歌手を紹介された時があって、
その時彼が”あの曲だろ、知ってるよ”とファンキーさんの曲歌ってくれたんですよ」
とS氏は嬉しそうにそう言う。

中国などでもそうだったが、
自分の楽曲が、そのアルバムをレコーディングしに来た時に
すでにチャートに上っていると言うのは、
私たち日本人にとっては少し不思議な感覚である。

日本と違ってこちらは音源が発売される前にチャートに上がる。
これはこちらのチャートが売上チャートではなくラジオOAチャートだからである。
製作側はとにかく音源が出来たらラジオ局に送り、
リスナーはヒットチャートに上ってる曲を聴いて、気に入れば買いに行くし、
気に入らなければ別にお金を出してまで買いには行かない。
思えばわかり易いシステムなのではあるまいか・・・

さて今回は訪泰したその日、
S氏がいいレストランがあると言うので連れて行ってもらった。
聞けばS氏、そことも何らかの合弁契約をし、
本格的に音楽ビジネスに参入するらしい。

そこで紹介されたのはとあるアメリカ人キーボートプレイヤー。
タイに移り住んで25年、タイ人と結婚し、タイ語もペラペラであると言う。
彼と私のコラボレートを画策するS氏、
ここはひとつ面通しして末吉にもここを見ておいてもらおうと言うことらしい。

客席が1000席以上もあるどでかいスペースに、
申し分ないPA設備とどでかいステージがあり、日本で言うとまるで
川崎クラブチッタか赤坂ブリッツがそのまま全部レストランになったようなもんである。

本場のタイ料理に舌鼓を打ちながら、
ウリであると言う生ビールを流し込む。
美味い!
アンプラグドのオープニングアクトの後にショーが始まる。
映像をも駆使したなかなか凝ったショーである。
タイの民族楽器を多用してそれにオリジナル楽曲等をからめたり、
今タイで流行っているムーランの映像にシンクロして、
そのテーマや劇中歌をタイ語で歌ったり、
音楽性は極めて高度で、これらの物をうまく昇華させ、
喜太郎やパットメセニーの域まで持っていってるように思えた。

中でも凄いと思ったのは終盤で出てきたルークトゥンの歌手である。
ルークトゥンとはタイの田舎歌謡とでも訳そうか・・・
日本で言うと演歌とか民謡とかナツメロとか、
そんないわゆるイナタイ旋律が小気味のいいルンバのリズムに乗せて歌われる。
それまで洋楽やタイチャートのヒット曲を歌っていたショーを見ながら、
上品に高級な料理とショーを楽しんでた1000人以上の客が、
その歌いだしと同時に一斉に狂喜乱舞する。
テーブルから離れて踊りだす輩も少なくない。
S氏のスタッフ、言わばタイではエリート集団の集まりである。
英語はもちろんのこと、日本語まで操ったり、音楽のプロも多い。
そのエリート達がその歌いだしと共に「ぷっ」と吹き出したと思ったら
やんややんやの手拍子で大盛り上がりである。

さて蚊帳の外は私たち日本人である。
ルークトゥンもタイの文化も知らない私たちには単に想像でしか物は言えないが、
例えて言うと日本で、マライヤ・キャリーとかサザンとかを演奏しながらも、
それにちゃんと民族音楽も交えて
喜太郎とかパットメセニーの世界にまで持っていってる高尚なバンドに、
ある瞬間に突然植木均が現れて
「サラリーマンは〜気楽な家業ときたもんだ」
と歌いだしたようなもんであろうか・・・
日本だと狂喜乱舞するか?
わからん・・・

ともかく私はこのステージに打ちのめされた。
北京のウィグル料理屋「阿凡提」のウィグル族バンドの歌と踊り以来である。
あれも最後には全員テーブルの上に乗っかって踊りだすわ物凄かったが、
こちらは仕掛け人がアメリカ人だったと言うところが興味深い。
私も北京で25年住んだとしたらこんなことが出来るだろうか・・・

いやいやSさん、すみませんが
タイ語もルークトゥンもタイ人にウケるツボも知らない私には無理です。
今まで通り日本的なのか中国的なのかようわからん楽曲提供しますんで、
どのようにでも使って商売してくらはい。
そいでまたいいレストランに連れてってくらはい。
(今夜もレコーディング終了後にいいレストランに連れていってくれるらしい)

タイはええとこ一度はおいで・・・

ファンキー末吉


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