ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第20号----

2000/06/19 18:00

またまたL.A.からである。

街の中に椰子の木が生えとるような街で1週間もおったらアホになると言うが、

二井原実を始め、もうすでにみんなアホである。

橘高もアホなのであるが、

やはり御大二井原には負けている、

と言うか、ギタリストがいま、仕事が佳境なのである。

彼までがアホになったらこのアルバムは終わってしまうのである。

和佐田もおったらとっくにアホになってたところだが、

ベースを弾き終わったらそそくさと帰国してしまった。

事務所関係がクリアして「サポート」の表記がなくなったと思ったらいきなりこうである。

そんなことはどうでもよい。

レコーディングである。

俺はどちらかと言うとレコーディングと言う仕事は嫌いである。

ミュージシャンはレコーディング好きとライブ好きと大きくふたつに分かれるらしいが、

俺はやはりライブ好きである。

毎日ライブやって酒飲んで、死んでいってそれで別にいい。

勝手にライブ音源でも録音してくれてそれが世に名盤として残っていけば言うことない。

(そんなわけにはいかんのやけどね)

それに反して橘高はレコーディング好きである。

時間と予算さえ許せば、一生スタジオに篭ってるような男である。

かく言う俺も、自分の受けたプロデュース仕事なんかでは、

それが仕事なので最後まで責任持ってスタジオで詰めたりするが、

それがそこ、バンドと言うのはよくも悪くも分業である。

ドラムを叩き終えたらもう「よし、後は橘高に任せた!」である。

人間、好きなことをするのが一番健康的でよい。

さて、俺は何が好きかと言うと冒険が好きである。

人生、おかげでこうである。

よし冒険に出かけるぞー!

(全然レコーディングの話やないやないかい!)

まあ去年は、こちらに7年基盤を置いてたと言う二井原におんぶに抱っこで、

結局自分ではどこにも行けなかった情けない状況だったが、

今年はその上、金をけちって国際免許も取ってなければ自動車保険にも入ってない。

車がなければ何も出来ないこのアメリカ社会で、

俺ほど何も出来ない人間はいないのである。

しかし世の中捨てたもんでもない。

バスとか地下鉄とか言う乗り物があるではないか!

・・・と思ったら「この辺からは車じゃないとねえ・・・」との答え。

早い話誰も行ったことがないのである。

いわゆる繁華街であるダウンタウンと言うところから見ると、

スタジオと俺らのアパートがあるレドンドビーチと言うところは、

東京から見た小田原のようなところである。

車でもなければ出てゆく気にもならないのが普通であろう。

またフリーウェイが充実しているので、

車で行くと何の不便さも感じないのであるが・・・

そんな中で、地下鉄グリーンラインの終点がレドンドビーチであることを発見。

ほな近いやないかい!

と思ったら大間違い。

カリフォルニア州だけで日本と同じぐらい、

ロサンジェルスと呼ばれる地区だけで関東地方ぐらい、

レドンドビーチと呼ばれるとこだけでどのぐらいの大きさなのやら・・・

結局そこまでは車で送ってもらうか、バスを乗り継いで行くしかない。

エンジニアのウェイン・デイビスは

「地下鉄に乗るのか?俺でも乗ったことない。危険だからやめろ」

と来る。

なんか暴動のあった、あの治安のよくない場所を通るので、

地元の人間はまずは乗らない代物らしい。

「わかったわかった。とりあえず、今日は

その駅までバスで行けるようになったら帰って来るよ」

と言い残してとりあえずバスに乗ることにする。

アパートの前にバス停があるので、

そこでしばし待っては見たのだが一向にバスが来る気配がない。

仕方ないからとぼとぼと歩いて見るのだが、

そうするとバスがぷいーっと追い抜いて行ったりするものだ。

人生とかくそのようなもの。

追いかけて行った先に、大きなショッピングモールがあった。

その名も「ファッション・センター」

去年には二井原と橘高がお揃いのスーツケースを買ったその場所だった。

そこに大きなバスターミナルがある。

「よし、ここを拠点にして出発だぁ!」

と思いつつもどのバスに乗っていいのやらわからない。

とりあえず「LAX」と書いたバスに飛び乗った。

空港まで行けばとりあえずL.A.のどの場所にもバスが出てるだろう。

そしてそこから飛び乗ったのがL.A.ダウンタウン行き。

行けるじゃないの・・・・

バスに揺られること1時間あまり、

雰囲気はすこぶるよく、運転手も客も気さくで、

乗って来たらいきなり友達みたいなそんなノリである。

とりあえず終点まで行ったら、着いたところがユニオン・ステイション。

いわゆる東京駅みたいなもんか・・・

地図を見るとそこからチャイナタウンはすぐである。

しかしもうすでに夕方・・・

どうするべきか・・・

暗くなって地下鉄に乗るのは危険だし、

夜バスに乗る勇気もない。

でも腹も減ったし、あの味気ないアメリカのファーストフードを食う気にもならない。

「よし」

とばかり一番近いラーメン屋に飛び込む。

英語がほとんど喋れない俺だが、

漢字で書かれている看板の店なら気持ちも落ち着くと言うもんだ。

北京語を喋れる人も喋れない人もいたが、

基本的にその店はベトナムの華僑がやってる店だったようだ。

そこのラーメンが絶品!

大満足のうちに引き返す。

ユニオン・ステイションでバスを待つこと1時間。

(もうその頃にはレドンドビーチまでの直通バスを発見)

乗って揺られること2時間近く。

結局往復4時間以上。

滞在時間30分。

ラーメンを食うだけの上京だった。

おまけに、レドンドビーチの公衆電話から電話をかけて、

その電話の上にザウルスを置き忘れて紛失。

踏んだり蹴ったりである。

でもこれでひとりでバスでどこにでも行ける自信がついた。

翌日は地下鉄の駅で降りて、悪名高い地下鉄でハリウッドへ。

ちょっと生活水準の低そうな人達が乗っては来るが、

さほど怖いと言うほどでもなく、

それでも帰りは地下鉄は避けてバスで帰った俺だが・・・

帰りのバスの運ちゃんはファンキーだった。

映画に出てきそうな太ったファンキーな黒人で、

ポリバケツのようなタンクの水をがぶ飲みしながら、

ラジカセから大音量で古いR&Bをかけまくる。

これって日本で言うと北島三郎をかけまくる運転手?

俺が若かりし頃、四国で「ファンキー末吉」と名乗ったきっかけとなった、

数々の悪魔的なナンバーを聞きながら、

何となく二井原の顔が思い浮かぶ。

そう言えば俺らはR&B仲間やったんや。

俺や和佐田なんかは彼のことをハードロックも歌えるR&Bシンガーやと思っとる。

着いてから申し訳程度にスタジオに顔を出す。

「どう?順調?」

「ファンキー、シャレんならんでぇ、これ聞いたら腰抜かすでぇ」

ヤツの「シャレんならん」と「腰抜かすでぇ」を100万べん聞いて来た俺だが、

今度はほんまに腰を抜かさなアカン日が来たようだ。

「ほな、帰るわ」

「おいおい、もう帰るんかい」

「おったってやることないしな。ほな後は頼むわ」

「頼むわ言うてどないして帰んねん」

「俺もうこの辺のバスばっちしやし」

すでにアパートの前からダウンタウンに直通のバスがあることを発見していた俺だった。

そしてその終着駅からは全アメリカへ鉄道が走っている。

次にこのメルマガを書くのはもう、ここL.A.ではないかも知れない。

ほなさらばじゃ!

(レコーディングはどないなってんねん!)

ファンキー末吉


戻る