ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第125号----

2007/04/26 (木) 20:48

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放映日決定!
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奇特なテレビ局もあるもんで、
俺の一連の北朝鮮ロック物語を報道特番として放送してくれると言うのである。

ついにあの楽曲の全貌が世界に先駆け、日本のメディアで発表されるのか!!

いやー、世界発売にはまだまだクリアせねばならぬ問題はたくさんあるのだが、
それにしてもこれを世界に先駆け、
報道番組で特集して放送しようと言うテレビ局もかなり「ロック」である。

この一連の映像はよくあるゲリラ撮影ではないので、
不思議なのはどうやってあの国の許諾を得たのかと言うことである。
何せ、真っ赤な横断幕に書かれた北朝鮮のスローガンだけがあるがらんとした校舎の中で、
美少女達が
「私はムルンピョ(疑問符)を愛する」
と歌っているのである。

こよなく「ロック」である。

詞はあの学校の国語の先生に書いてもらったものだが、
もともと
「よい子はいつもムルンピョ(疑問符)を愛して勉学に勤しみなさい」
と言う内容の詞が、
ちょちょいと順番を変えるだけでとんでもない「ロック」な詞に変貌した。

私はムルンピョ(疑問符)を愛する

知識の高いタワーを築けば築くほど
知恵の中で湧き出る私のムルンピョ(疑問符)

その秘密の門を開きなさい
成功のキーを与えてくれる

ムルンピョ(疑問符)私は好きなんだ
みんな一緒に昇ろうとささやいてくれる
ムルンピョ(疑問符)私は好きなんだ
いつも生まれる私のムルンピョ(疑問符)


こんなものを放送してええのか!!!!!!

おふくろさん騒動の森真一のように、
「勝手に俺の詞を変えよって」
と怒られるぶんにはまだよいが、
おりしも長崎市長がヒットマンに射殺され、
去年には自民党の加藤幹事長の自宅が放火され、
家族にまで危害が加えられたことがあると言うではないか!

まっ先に考えたことが、
「うちの子供たちは大丈夫だろうか・・・」
と言うことである。

俺のような男でも子供は大切なのだから、
ましてやあの国に子供を拉致された家族の人の気持ちたるやどんな思いなのだろう・・・
その人たちはこの映像をどんな思いで見て、俺のことをどのように思うのだろう・・・

いろんなことを考えれば考えるほどまたムルンピョ(疑問符)が生まれてくる。
そしてあの曲のメロディーを思い出し、
彼女たちのプレイを思い出し、
そして彼女たちの笑顔を思い出す。

何と言われても俺はやっぱり彼女たちのことが可愛い。
時々ちょっと不憫に思うこともあるが、でもそれは決して同情ではない。
単なる国家体制の悲しさである。

でももし俺の子供が北朝鮮に拉致されたとしたら、
俺は彼女たちのことを同じように愛おしく思えるだろうか。
ひょっとしたら憎たらしくて引っ叩いてやるかも知れない。

でも彼女たちにも親がいて、
俺達が自分の子供に対する思いと同じように愛してやまない。
俺が彼女たちを引っ叩いたら、彼女たちの親は俺を半殺しにするだろう。

だから戦争はいつまでも世界からなくならない。

世の中ムルンピョ(疑問符)だらけである。

俺は今北京に住んでいる。
戦争加害国と言われてる国の人間が戦争被害国と言われてる国に住んでいるんだから、
まあ俺のような特殊な生活環境の中でもいろいろある。

だが、俺の周りの中国人は俺に戦争問題を持ちかけたことは一度もない。
ひとりだけ
「私の両親は私の目の前で日本軍に殺された」
と言う人と会ったことがあるが、
その人でさえ俺に戦争問題を持ちかけたりしなかったのと同じように
俺は、彼女たちに拉致問題を持ちかけることはなかった。

今だに
「天皇陛下は神様だ」
と思っているうちのおふくろに
「あれは人間なんだよ」
と言えなかったのと同じように、
俺は、彼女たちの「父なる将軍様」がやっていることを彼女達に伝える勇気はなかった。

「それでもお前は日本国民か?!」
と糾弾されても仕方がない。
結局俺は向こうに行って何もやって来てはいないのだ。
ただ彼女たちと「ロック」をやって来た、それだけなのである。

俺は「ロック」の専門家であって、決して「朝鮮問題」の専門家ではない。
そんな生半可な立場でテレビと言う大きなメディアでそんなものが流されたりしようもんなら、
それこそどこからどんな攻撃をされたりしてもそれをシュミレーションすることも出来なければ防ぐことも出来ない。

まあ行く前も同じことで悩んだりはしたのであるが、
嫁に
「世界中であんたしかやれないことなんやからやるしかないんちゃうん」
と言われて、もう既にその時に覚悟は決めているが、
しかしどうしてそれが俺じゃなくてはならないのかが一番ムルンピョ(疑問符)である。

「あそこに行く」ことは確かに「ロック」なことであるかも知れないが、
別にそれだけなら「冒険家」が行けばいいことである。
「ロック」と言うなら内田裕也さんに行って頂いても全然かまわない。

「日朝友好」ならば政治家が行けばいいことである。
東国原宮崎県知事が行って頂いても一向に構わない。

でもロックの神様は何故か俺を選んだ。

きっと、「俺が」とかそう言うニュアンスではなく、
「この曲が」生まれるべくして生まれるために俺を使ったと言うか、
まあわかりやすく言うと処女懐妊したマリア様がキリストを生んだような・・・
(全然ちゃう?・・・えらいブサイクなマリア様やと?・・・)

まあ考えるに、
この奇異な運命を持ついちドラマーがするりと滑り込んだのは、
実のところ何か時代の裂け目と言うか、
いわゆる世界情勢のどさくさだったと言うことである。

そこでそれは生まれるべくして生まれて、
そして世に出るべくして出ようといる。

まあきっとただそれだけのことなのであろう・・・

よかったら番組見て、
世界一ロックが不毛なところで生まれた世界一「ロック」な音楽でも聞きながら、
このおアホなドラマーのおアホな人生を肴に酒でも飲んで下さいな。

4月30日(月)、5月1日(火)二夜連続
日本テレビ深夜のニュース番組「ZERO」にて放送予定
(ニュース番組なので大きなニュースが飛び込んで来ると変更になります)

きっととびっきり美味い酒が飲めること間違いなし!

ファンキー末吉


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