北朝鮮渡航記


ワシは実は一度北朝鮮に密入国したことがある。

まだ日本のパスポートの渡航先に「北朝鮮を除く」と書かれていた頃である。

数人のアホ仲間と中国の東北地方に行き、凍っている豆満江を渡って向こう岸で記念撮影をして帰って来た。

メンバーは純粋な日本人であるワシの他に、純粋な漢民族中国人、朝鮮族中国人、そして在日韓国人、すなわち韓国のパスポートを持ってる者もいたんだから今考えてみるととても危ないことをしたと思う。

撃ち殺されたとしても文句は言えまい・・・

 

ところが今回は正式にビザを取得して渡航した。

北朝鮮のビザはパスポートにハンコを押されるのではなく、薄水色のペラペラの見開きの渡航証を発行してくれる。(北京で発行するとこうだが、日本で発行するビザがどうなのかは定かでない)

北朝鮮の渡航歴があると入国できない国がいくつかあると言うが(韓国とか?)、そう言う意味ではこのシステムはパスポートにハンコを押されないので便利である。


2006年7月25日

-----出発-----

かくして北朝鮮国営の高麗航空に初めて乗ることとなる。

北朝鮮に空路で入るには必ずこの飛行機に乗らねばならない。

北京からは週に2便就航していて、朝の8時に平壌を出て、北京から11時半にそのまま折り返し帰ってゆく。

座席は折りたたみ式で、機内食はむっちゃまずかった。

後にやみつきになる北朝鮮の地ビール「RongSong」はこの時は生ぬるくて最悪!

しかしスチュワーデスの接客態度は中国国際航空と比べたら雲泥の差である。

いわゆる北朝鮮スマイル。中国式に慣れきったワシには非常に新鮮であった。

 

小さな機体が乱気流に揺られること2時間、ついに平壌空港に降り立った。

平壌空港のイメージは、ワシが若い頃によく利用してた「旧高松空港」と言う感じであった。

こじんまりしていてそのままロビーに立ち食いうどんがあっても不思議ではない。

しかしそれでも国際空港である。持ち物のチェックは想像以上に厳しく、特に携帯電話を隠し持ってないかの調査は厳重を極める。

どうしてそんなに携帯電話の持込みを恐れるのかはいまだに謎である・・・

 

やっとのことで税関を抜け、通訳兼ガイド兼監視役とご対面。

彼らは必ず二人組みで行動し、それに運転手を加えて3人がまたお互いをも監視し合っていると言う話である。

たとえどんなちょっとした時間であっても、我々外国人は

彼らと離れて勝手に行動することは絶対に許されない!!

 

空港を出たら、そこは北京空港と違い1台の白タクも、ホテルの勧誘も、物売りも、ものもらいもいない。

猥雑なものは一切なく、ゴミひとつ、タバコの吸殻さえ落ちてない。

その後数日間、本当に平壌の街でゴミを見ることもなかった。

文字通り「ゴミひとつ落ちてない街」であった。


ワシらがそのまま向かったのは、金日成がこともあろうか6月9日(ロックの日)にここに学校を建てることを指導したと言う、「6月9日高等中学校」である。

外国人観光客はここで授業やクラブ活動を参観したりするのも観光コースのひとつとなっている。

その参観の中のひとつ、日本で言うといわゆるクラブ活動の音楽サークルなのであろうが、そこで学生達の歌や演奏を見ることが出来る。

それがまあ可愛いの可愛くないの・・・(可愛いのである)

そして記念撮影。

通常の観光客はここでこの美女軍団予備軍に手に手を握られ、鼻の下をのばして送られて帰途に着くのであるが、ワシはここで「人民にロックを教える」と言う暴挙に出た。

 

そんなことが出来るのか?!!!

 

通訳兼ガイド兼監視員と学校側の交渉が始まる。

もともとこの国の人は「ロックとは何ぞや?!」と言う概念がない。

噂にも聞いたことがないんだから通訳とて通訳し切れない。

 

「じゃあとりあえずワシにドラムを叩かせなさい!」

バトンタッチでドラムの子

 

そして学校の先生はこう言った。

 

「そんなありがたいものをタダで教えて頂けるなら・・・」

 

かくしてワシは毎日ここにロックを教えに来ることとなった。


2006年7月26日

-----とりあえず午前中は観光-----

こんなバカでかいモニュメントが必要なんでしょうか・・・

塔に書かれているのは「チュチェ」、すなわち金日成主席が提唱した「主体思想」とか言うもんである。

農民の鎌と、工人のハンマーと、知識人の筆とを合わせて理想の国家を築き上げてゆくとか言う話である。

だったらスティックもまぜてくれぇ・・・

 

・・・と、ここまでは出来ても、さすがに金日成主席の巨大な銅像の前では出来なかった。

だって、みんなお花添えて厳粛にお辞儀してんだもん・・・

言うならばうちのお袋に「天皇陛下は神様じゃない」と説くぐらいここの人民の常識を他人が覆すのは難しい。

そんな人達にイヤな思いをさせるぐらいだったらとりあえずお辞儀のひとつやふたつ・・・

それにしてもこんなバカでかいものを作る必要があるのか?!!!

偉大なる首領様が日本帝国主義を蹴散らして凱旋したことを記念して建てられた凱旋門。

パリの凱旋門より大きいと言う。

この国の偉い人は何より「世界一」が好きなんではないかと思う。

建築が頓挫して10年近く経つ、文字通り「世界一」の105階建ての柳京ホテル。

まるで「バベルの塔」である・・・


かくして学校に戻って来た。

課外活動のクラブ活動と言いながら、彼女達は外国のお客さんのために来る日も来る日も演奏している。

とりあえず彼女達のレパートリーを演奏してもらって、それを譜面に書き写す。

それを元に大急ぎでアレンジし、パート譜にしてみんなに配る。

それじゃあみんなぁ!やってみようかぁ!!

しかしこの時、ワシは大きなミスを犯してしまっているのである。

キーボードはふたりいるのに、キーボードの譜面はひとつしか書いてなかったのだ。

きっと頭の中では、「オリジナルの演奏ではひとりが歌メロ弾いてたから、とりあえず譜面はひとり分でいいや・・・」と思いつつ、実際に譜面を書き終わったらそのもうひとりのキーボードのことを全然忘れてしまっていたのであろう・・・

結局もうひとりのキーボードの子は、譜面も渡されず、何もしないでずーっと定位置で座っていたのだと言う・・・

 

気づかんかったぁ・・・

 

そしてこの日のリハーサルが終わった時、彼女は勇気を出して直訴しに来るのである。

先生!私は決して弾けないわけではないのに、どうして私にだけ譜面をくれないんですか?

ワシはその夜、また全てのアレンジを書き直して彼女のパートを作ってあげたことは言うまでもない。

 

ところで、初めて聞く曲をその場でアレンジしてすぐに各パートの譜面を書いてすぐに演奏すると言うのは実は非常に骨が折れる。

特に「ロック」と言う音楽はギターやベースに対する要求が大きくなるので、その要求を各プレイヤーがちゃんと弾けるようになると言うことが要となって来る。

ところが、彼女達の楽器ときたら、ベースには弦が3本しかなく、そればかりかギターも弦が3本しかない

エフェクターなんぞあるよしもなく、アンプに至ってはベースにギターに2台のキーボードまでつないでいるので、スピーカーが悲鳴を上げてブーブー言っている。

 

しかしワシは胸を張ってこう言う。

「ロックは楽器でやるもんじゃない!!」

 

弦が3本だってリフは弾ける。

アレンジもそれを考えて3本だけで弾けるように考えるのである。

 

ベースのフレーズもとりあえず一度弾いてあげて伝授する。

俺が弾いたって下手で話にならんが、なーに魂だけは通じるはずである。

それが「ロック」である。

 

この日の練習はここまで。

明日は国民の休日。各人練習して最終日に臨む。


北朝鮮の地ビール。

飛行機の中で飲んだ時は「何じゃこりゃ!」と思ったが、冷えたRyongSongビールをご当地の酸っぱいキムチをつまみにグイっといくと、これが結構やみつきになる。


2006年7月27日

-----国民の休日なので一日観光-----

 

あいにくの小雨だったが、とりあえず朝から遊園地に行く。

国民の休日と言うことで、雨だというのに家族連れやら子供だけの軍団やら、これだけ人がいるのにひとりだけで遊ぶのはちと寂しいんじゃありませんか!!

と言うわけで、次の乗り物は現地の子供と一緒に乗り込むことにする

せっかく友達と遊びに来たのに、いきなり隣に変なオッサンが・・・しかも外国人・・・

と言うことで子供の顔はあからさまに凍ってゆくのだが、なになに、全世界子供の無邪気さは共通である。

乗り物が動くや否や、やっぱ楽しいものは楽しいのです!!

しかし今になってちと後悔・・・

お菓子でも持ち歩いてて友達みんなにプレゼントしてあげればよかったね。

これ1回乗るのだって決して安いお金じゃないんだろうにねぇ・・・

本当はやっぱり友達と一緒に乗りたかったんじゃないかな・・・


ちょっと反省しつつ飲む・・・

ここは平壌の喫茶店。

ウォッカカクテルと言うのを頼んでみたら何やら不思議な味のものが出て来た。

激論の末、これはきっとウォッカをコーラで割っているのではないかと言う結論に達した。

コーラ自体の味が違うのでこんな味なんでしょう、きっと・・・

それにしてもレモンやライムではなくバナナを飾って出して来るのはちょっと・・・


さて一杯やってるうちに雨も晴れた。牡丹峰(モランボン)へ繰り出そう!

緑豊かな小高い丘で、上空から見ると牡丹のように見えるところからそう名付けられている。

ちなみに日本の焼肉屋のモランボンはまさにここから名付けられている。

 

今日は国民の休日。

偉大なる首領様がアメリカ帝国主義者を追い払って朝鮮戦争を終結させた記念すべき日である。

あいにくの雨でピクニック日和ではなかったが、雨も晴れて、いたるところから酒盛りの歌声が聞こえる。

こそこそと寄ってゆくのだが、外国人が来たと気づくといきなり盛り上がりがトーンダウンしてしまうので、悪いのでそこそこに立ち去ってゆく。

ところがそんなことは気にもせず、いきなりワシを酒席に呼び込んだ人民がいた!!

職場関係とその家族で記念すべき休日を祝っているのだと言う。

またその子供が可愛いのじゃ!!!

この子を肴に飲むこと飲むこと、歌うこと歌うこと・・・

みなさんは知っている日本の歌を次から次へと歌ってくれる。

それに比べてワシは朝鮮語の歌なんぞひとつも歌えん・・・

しょうがないから「よさこい節」でも歌って場をつなぐが、結局何にも歌えなくなって一気飲み・・・

それにしても日朝関係がこうも緊迫している中、偉大なる首領様が帝国主義者を追っ払った記念日に、その帝国主義者の属国とも言うべき日本から来たアホなドラマーを酒席に招き、そしてあろうことか日本の歌を大声で合唱して許されるのか?!!


牡丹峰(モランボン)を降りてチュチェ(主体)塔前の広場に行ったら、これがまたお祭りらしく皆さんでフォークダンスを踊っている。

お祭りなので外国人観光客も参加してよいと言うので、もちろんワシも参加した

 

チマチョゴリの学生さんと一緒に踊りながら思った。

ここの人達は決して「やらされてる」わけじゃない。

そりゃワシも小さい頃は運動会が嫌いで、「どうしてこんなものを無理強いしてやらされなきゃなんないんじゃ!!」といつも思っていた。

もちろんここの人達の中にもそりゃそう思って参加している人もいるかも知れない。

ワシなんかも、「国民的行事のマスゲームなんかも、きっと人民は無理やりやらされてんだろうなぁ・・・」などと想像してたりもしたけれども、ワシはこの日、ここで最後までそう言うオーラを感じることは出来なかった。

北朝鮮は演劇国家で平壌は映画のセットだと言う人がいるが、もしこの全ての人が全部演技でこの表情を作ってたとしたら、そりゃこの国民全員アカデミー賞ものである。

今朝見た、遊園地の売店でつかみ合いの喧嘩をしてたおばはんふたりは世界的女優である。

娯楽の少ないこの国である。

年に数回のこんなお祭りで、フォークダンスで好きな女の子と踊りたいと思っている男の子もいるだろう。

振られて泣きたい気持ちを抑えながら笑顔で一生懸命踊ってる女の子もいるだろう。

辛かった青春時代を思い出しながら夫婦で踊っているお年寄りもいるだろう。

今日は国民の休日なのである!!

偉大なる首領様が帝国主義を追い出した記念すべき日でも何でもええやないかい!

楽しくやろうぜ!!

そんなことを考えながら女学生相手にヘタなダンスを踊った・・・


さて、チュチェ(主体)塔をはさんで反対側ではちょっとしたコンサートが行われていた。

中国で言う「歌舞団」みたいなもんだと思う。

あの学校の女の子達も卒業したらこう言う団体に所属になって、こう言う風に音楽やってゆくんだろうなぁ・・・と思って見てたらコンサートも終わり、片付けに入ったのでまた悪い虫が出て来た。

「ちょっとドラム叩かせてもらえまへんか?!!」

スティックを持って来てなかったのでドラマーのお姉ちゃんから借りる。

たたき始めて調子が出て来たところで怖いオッサンが出てきて怒られた。


名物の平壌冷麺。

街角でも行列が出来てる店があると思えば冷麺店だったり、平壌の人は1日に必ず1食は冷麺を食べると言うほどの人気食。

麺を箸で持ち上げ、そこに酢をお好みで垂らし、マスタードもお好みで入れてからその麺を二本の箸で持ち上げて豪快にかき混ぜてから食べる。

スープを飲みながら食べるのが通らしい。


2006年7月27日

-----最終日-----

朝から遠出して板門店に行った。

板門店とは「侵略者、アメリカ帝国主義者が朝鮮と朝鮮人民を人為的に分断させた罪悪を全世界に告発する厳しい審判場である」とこの国では言っている。

まあこの国は世界で唯一、たったひとりでアメリカに喧嘩売ってる国なのである。

非武装地帯の中に7つの建物がある。

白い建物はアメリカが(こちらでは韓国はアメリカが作った傀儡国家だからそう言う風に言う)、青い建物は北朝鮮(こちらではこの言い方は実は失礼に当たり、共和国、もしくは朝鮮と言わねばならない)が建てた建てた建物である。

ワシらは必然的に青い建物に案内される。

建物の真ん中を分ける低いコンクリートが軍事境界線である。

向こう側が韓国、こちら側が北朝鮮。

こんな「ひょいと跨げばすぐにでも乗り越えられるコンクリートの線」が誰も乗り越えることが出来ないのである。

「こんなもん!誰が作ったんじゃ!!」

アホの極みである・・・


同じアホならロックにアホな方がまだましである。

学校に帰って来た。

ストラップがないのでずーっと座ったまま弾いてた彼女達だが、やはりロックは立って弾いてもらわなければ都合が悪い!(何でやろ・・・とにかく都合が悪いのである)

その辺にあったヒモで即席ストラップを作ってあげた。

 

とりあえず座ってしか弾いたことがない子たちだから、ここ一番の時にだけ立ち上がるように指示して、まあとりあえずは座って弾いて下さい。

でも同じ座って弾くにしてもロックは艶かしく弾いてよ!(何でやろ・・・とにかくそうして欲しいのである)

 

かくして最終的に譜面をチェック。

泣いても笑ってもワシは明日には帰ってゆくのである。

まあ彼女達はワシが帰ろうが泣こうが笑おうが、どうせ毎日ここで演奏するのであるが・・・

 

かくして「ロック版、統一アリランの歌」が完成した!

4小節のベースソロの後、更にそれにギターがハーモニーで加わって来る。

ちゃんと自分のソロの時には立ち上がって自分をアピールするんだよ。

そしてその後に8小節のドラムソロ。

ちゃんと振り返ってドラムをアピールしてあげてから、ゆっくりと元の椅子に座ればいいからね。

エンディングはちゃんとドラムに合わせてネックを大きく振ってシメてよ。

それがロックなんだからね!(何でやろ・・・まあようわからんがそうなのである!!)

 

よく出来ました!

彼女達は今日もまたいつもの笑顔で、この曲を観光客相手に演奏してるに違いない。


持ち込んだツインペダルとスティックは全部置いていった。

ギターの子には橘高モデルのピックをプレゼントした。

次来る時はストラップかな・・・ヒモで作ったストラップじゃ肩が痛いし・・・

ベースの弦も持って来てあげなきゃ・・・

ギターはもうペグ(糸巻き)すらない状態なので、とりあえず新しいギターを持って来てあげよう。

あとはアンプかな・・・でもちと重くて持ち込めないなぁ・・・

万景峰号はもう新潟港出入り禁止やろうしなぁ・・・

こりゃワシがまた北京から陸路で運ぶしかないか・・・

 

あれ?俺・・・なんか昔こんなことやってたような・・・

 

そうそう、中国に最初に来た時にやってたやってた・・・


コーラスで参加してくれたみんな。

基本的にこのサークルの人はみんな歌が歌える。

歌が好きで、音楽で身を立てたいからこのサークルに入って、更に楽器に興味がある人が楽器を練習する。

お姉さん達が卒業したらそのポジションを狙って熾烈な争いがあるかも知れない。


Dr(左)、Bass(右)

ふたりは一番年上の中学6年生(日本で言うと高校1年生)。バンドのリーダー的存在。

もうすぐ卒業です。

ほのかな色気が漂う。


Gt

弦が3本しかないのに一生懸命弾いていたのが印象的。

一番おとなしく、いつもニコニコ笑っている。


Key

ほんと初日はごめんね。

忘れてたわけじゃなかったんじゃけど、本当に忘れてた・・・

直訴して来んの勇気がいったでしょう・・・

でも初見で譜面もらってすぐ弾けてたしね。うまかったよ。


Key

ちょっと難しかったかい?

弾けなかったらとても悔しそうにしてた。

「私がこんなもの弾けないはずはない!」って感じでね。

そしていつも「ごめんなさい。怒らないで」って表情で先生を見てた。

大丈夫!先生は首領様じゃないから怒らないよ。

「ロックは楽しくやろっ!」


彼女達へのファンレター、激励の手紙等はこちらへ。

但し次に渡航する時まで渡せません。


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